加藤清正、黒田長政、蜂須賀家正らは、朝鮮出兵から帰還後、「三成襲撃事件」を起こします。

補足

「ランボー」を単に暴れただけ、事件を起こしただけ、としか捉えず、その背景にある戦友を亡くした無念さに考えが及ばないのであれば、今回の質問の内容には全然触れられていない、と思います。 人物の気持ちを思考する質問なので、歴史ではなく、文学的な面が強い質問かもしれません。 引き続きご意見をお願いします。

日本史107閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

4人が共感しています

ベストアンサー

0

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます そうです。これが私が望んでいたものです。私が質問として投稿した見解に、専門的な知識を有する回答者様から「その可能性はこのくらいかな」、と意見をもらいたいのです。「そんな史料はない」、と言ってるだけの回答では、回答してもらえた、とは思えません。 その人物を肯定する意見を述べたら、その人物のファンだ、などと言うのはおかしいですね。 詳しく丁寧な回答ありがとうございます

お礼日時:3/7 21:44

その他の回答(3件)

0

私はそもそも関ヶ原までの豊臣系大名の確執を豊臣家への忠義などという色眼鏡をかけて見ることが、問題を見誤るもとだと思っています。 豊臣系大名に、自分や運命共同体である自分の家中の得失なしに無条件に豊臣家に忠誠心を持っていた者など皆無で、むしろそれが共同体の長としては正しいと思っています。 秀吉死後、家康が秀吉の遺命に叛いたとして弾劾されますが、これは政治力学によるものと見るべきで、なんとなれば三成たちも秀吉死後、家康より早いタイミングで遺命に叛いています。 毛利家の秀元分知問題がそれで、実子が出来たため廃嫡された養子の秀元が秀吉の実弟秀長の娘を娶りすでに準一門となっていたため、秀吉が秀元に有利な毛利家からの領土割譲を裁定していたにも関わらず、三成ら奉行がその秀吉の裁定を反故にして毛利家に有利なものに変えてしまった。 これは三成ら中央政府を牛耳っていた者たちが、秀吉が死にその権力への軍事的担保を失ったために、毛利家にそれを期待して忖度したのは間違いないところでしょう。 しかし毛利の軍事力だけでは背景として弱かった。だから襲撃事件は起こったのであって、三成が結果、蟄居となる時に毛利輝元は謝罪していますが、これは軍事力の担保が不充分で守りきれなかったことに対してでしょう。 同様に襲撃した清正たちのほうにも情緒的な理由よりもむしろ、秀吉不在となった中央政府が自分たちと特に関係の悪い三成たちに牛耳られるのは非常に都合が悪い。 戦国時代のすぐ後のことですから、そう言った「政争」に武力行使が絡んでくる。そう言うことだと思います。 関ヶ原もその延長にすぎません。

0

私もあまりランボーを見たことがないのですが、加藤清正らは大名でありランボーとは立場が違うような気がいます。 大坂の陣の際の真田幸村、後藤又兵衛、毛利勝永らがランボーかもしれません。 ただ、彼らは日本一の兵たちで武力、動機が武士道であり、その点はランボーとは異なる点だと思います。 清正らも武士であり、諸大名に不人気の三成を追放して秀頼政権を盛りたてようとしたのでしょう。

1

「伏見城」に立て籠ったのは「石田三成」ですけどね。w ランボーを知らないのであまり解らないのですが、加藤清正などが映画のように暴れたと言うのは間違いとされ、正しくは加藤清正・蜂須賀家政・浅野長政などなど7~10名の豊臣家諸大名が三成を訴えると、逆に石田三成が伏見城に立てこもってしまった事件です。 「朝鮮の役」において石田三成・小西行長の派閥と、加藤清正や黒田長政・浅野長政・蜂須賀家政など正に豊臣恩顧の諸大名との派閥抗争や確執があったのでしょう。 加藤清正や黒田長政からすれば「自分たちは讒言されるが、なぜか小西行長は好き勝手にやっている」点は三成の「忖度」が問題と思えたでしょうし、 「七人の目付衆」の内、5名が三成の縁戚関係と言うのも異常に思えていたでしょう。 しかも残りの2名の毛利高政、竹中重隆とも政争を起こしています。 戦後にこれらの行いを冷静に訴えた加藤清正たちに 逆に「お前たちは何も解ってないんだぁぁぁぁぁ!!」と立てこもり事件を起こし、投降しているのが石田三成という点は 正に「ランボー=石田三成」ですね。

画像

1人がナイス!しています

ランボーはそういう話しなのですね。 そうなると加藤清正や黒田長政なども戦友が死に多くの血が流れる中で、敗戦の原因を作りながら専横を増す石田三成・小西行長・目付衆が許せなかったのでしょう。 それは「朝鮮の役」において確執が生まれると思います。 しかしながらあくまで冷静に「提訴」すると、逆に石田三成が逆ギレし「伏見城立て籠り事件」を起こすと言う様は、どこまでもしぶとい醜悪な犯罪者の思考が解る気がします。 ランボーも「戦争はまだ終わっていない」と叫んだそうですが、 石田三成も同じ思いで政権復帰を目論み「関ケ原の戦い」を起こしたと思うと正に言い得て妙だと思います。

画像