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誤解がないよう、琉球処分の概要を説明します(-_-;) 長文ですが、できるだけ平易な言葉にしますww まず前提として、それまでの琉球王朝の立場を述べます。 【琉球は明や清の中国王朝と『朝貢』関係にありました。】朝貢というのは、中国王朝に貢ぎ物を捧げる事です。代わりに中国王朝は、朝貢した国に便宜を図る事で報いました。国家としては独立性があったのですが、中国と対等ではなかったんですね。 そして徳川家康の時代、琉球は薩摩藩と戦争して敗けました。これにより、【琉球は薩摩の支配下に入りました。】とは言え、国家としての独立は認められ、中国との交易は継続されました。その交易で薩摩は大きな利益を得たのです(これが後の倒幕の活動資金ともなる)。薩摩にとっても、琉球は独立国家である事がプラスに働いたんです。 _________________________ さて、19世紀。 日本で明治維新が起こりました。そして1871年、【廃藩置県】が行われます。廃藩置県とは、大名がなくなって政府による中央集権体制になる事です(つまり、日本がひとつの『国家』としてまとまったという事)。 この年、【琉球の船が台湾で遭難し、クルーの大半が地元民に殺害される事件】が起こりました。これは日本にとってチャンスでした。仇討ちとして1874年に日本は台湾へ出兵し、清から賠償金を取って、その一部を遺族に送りました。 《この一連の事件は、琉球が日本の一部となった事を国内外に知らしめる結果になりました。》 それより前の1872年、日本は琉球に【琉球藩】を設置してました。琉球としても廃藩置県で薩摩藩がなくなり、薩摩への借金もチャラになった事で、旨味があったんですね。 しかし、『藩』という肩書きを持つ事で、「琉球は日本の一部である」というシナリオが成立したのです。そこで上記の台湾出兵を経て、日本から1875年に「琉球も廃藩置県の方針に従うように」との命令が下されました。 当然、琉球内では反発の声が湧き上がりました。話し合える状況ではありません。それで1879年、日本は軍を率いて琉球に上がり、武力を背景に【沖縄県の設置】を通達します。 これが【琉球処分】のあらましです。この時点で、琉球王国は国家として完全に滅亡します。 _________________________ 背景を理解して頂きたかったので簡単な説明とならず、すいませんm(_ _)m ですが、「琉球処分の時点では琉球は日本領土ではなかったのですか?」というご質問については、上記の通り、曲がりなりにも琉球王国は独立国家でした。『琉球藩』と名乗った時点から、立場があやふやになったんですね(=_=)
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ID非公開さん
質問者
2021/3/3 20:54
ご丁寧にありがとうございます。とても分かりやすかったです!
質問者からのお礼コメント
細かく説明して下さりありがとうございます!
お礼日時:3/3 20:56