日航123便は何故横田基地から逆方向へ行ってしまったのですか
日航123便は何故横田基地から逆方向へ行ってしまったのですか 横田基地を目の前にしてそのまま着陸せず、なぜ逆方向の山へ向かってしまったのですか? もしくは仮に横田に着陸できなかったとしても何故そのまま羽田方面に行かなかったのでしょう?
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1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故について、相模湾上空で、垂直尾翼が破壊される異常事態に見舞われた後は、左右のエンジン出力の差を利用しながら、飛行を継続したと考えられます。 日航機は、機体を安定させるために車輪を出し、山梨県大月市上空で右旋回をしながら高度を下げ、横田基地への緊急着陸態勢に入っていましたが、機長が「これは、駄目かも分からんね。」と発言した辺りから、北西に進路を変更し、秩父山岳地帯に向かって行きます。これについて、機体を完全には制御出来ない以上、地上で二次災害を発生させる恐れがあるとして、やむを得ず断念したと思われます。 山腹への不時着でありながら、事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の方が生存し、結果的に4名の方が救出されたのですから、最後まで諦めなかったクルーの姿勢は、高く評価されるべきであると考えます。
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