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鉄砲とキリスト教の伝来が日本にもたらしたものは? 戦国時代には、戦いの時代だからこそ必要な二つのものが日本に伝来します。一つが殺戮の道具である鉄砲、そしてもう一つが愛と魂の救済を諭す宗教です。鉄砲が種子島に漂着したポルトガル人によってもたらされたのは1543年。そしてその6年後にはフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝導されます。 いうまでもなく、鉄砲の伝来は、戦国時代の戦いの概念を大きく変えました。そしてキリスト教は交易船と共にもたらされたこともあって、多くの戦国大名から保護され、中にはキリスト教に改宗する大名まであらわれました。現在の大分県にあたる豊後の大名、大友宗麟はそのひとりで、こうした大名はキリシタン大名と呼ばれました。 これは、ヨーロッパでの大航海時代の賜物です。16世紀、ポルトガルはマカオに、スペインはマニラに拠点を設けて、東アジアでの交易に積極的でした。彼らは、中国の元を訪れたマルコ・ポーロが、著書「東方見聞録」で、日本を黄金の国と紹介したことから、中国でさらに情報を収集し、日本へ船出したのです。 航海による交易は、単にヨーロッパのものだけではなく、中国や東南アジアの商品の日本への伝搬にも一層貢献し、同時に日本の文物が西欧に伝わりもしました。戦国時代の終末期である1582年には、キリシタン大名が、天正少年使節と呼ばれる使節をローマ法皇庁に派遣しています。 遥か海の向こうからの交易船の到来は、日本人にも新たな海外への夢を育みます。特に鉄砲の輸入と戦国大名への販売は、商人に莫大な利益をもたらし、堺はそんな商人たちによって造られた都市国家として繁栄します。彼らは逆に東南アジアに積極的に進出し、各地に日本人町を建設します。日本人にとっての大航海時代の到来であり、それは、日本人が自ら積極的に海外に交易を求めた珍しい事例となりました。ベトナム中部のホイアンなどには、そうした日本人町の名残が今も残っています。戦国大名の経済振興策で、商業活動が活発になり、貨幣経済が浸透したことが、西欧やアジアとの交易を刺激したのです。 1575年、急速に台頭してきた1人の戦国大名が、キリスト教を保護し、交易によって入手した鉄砲で新手の軍団を造り、有力な戦国大名であった武田の騎馬軍団を打ち破るという事件がおきました。有名な長篠の合戦です。この戦いに勝利した織田信長こそが、戦国時代の最後の勝者として、日本の再統一へ王手をかけるのです。
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質問者
2021/3/3 20:20