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2021/3/4 14:01

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足利将軍家は尊氏までは氏の字が名前に入っていることが多いですが、彼以降は義◯にほぼ統一されています。ここの理由が知りたいです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

貞の字の説明をしてくださった方もありがとうございました。

お礼日時:3/5 1:25

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貞の字ですが、室町から戦国時代にかけて丹波内藤氏に複数人みられるほか、宗像氏貞とか有馬義貞などにまばらに使われており、見つけるのが難しいのだと思います。 南北朝がらみで貞がよく見られるのは、 ①この時代にもまばらに使っていた ②北条貞時から偏諱をうけた人が存命だった という二つの条件が重なったために、ほかの時代よりもたいへん見つけやすくなっているのだと思います。 とくに後者の影響が大きいのですが、貞時は平貞盛から一字をもらってきたという説が有力で、同時に執権から御家人への偏諱が増加したとされています。 足利氏は、北条氏から関係つくりが早くからなされていたため、泰氏、頼氏、貞氏などの執権からの偏諱がよく見られましたが、貞氏の子は「高義」でした。 この高義は北条氏を母にもつため、両家の関係がいちだんと深まるのをうけて源氏の由緒ある「義」をつかっていいことになった、と考えられています。 他方で、上杉氏を母にもつ足利高氏(尊氏)は「氏」をつかっていたところ、高義が亡くなったために当主となります。 そして北条氏を滅ぼし、自力で幕府を築くにまでいたると、自発的に通字を「義」に改めます。

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義は、源氏の嫡流 源頼義から始まるものです。 征夷大将軍になり、先祖の義を復活したのです。 氏は、足利の荘を根城に活躍する足利氏の間で受け継がれました。 鎌倉時代には、頼朝系の源氏の将軍家、北条執権家に遠慮して義は使えなかったのですよ。義を使えば、源氏の嫡流を名乗り、幕府転覆をはかるものとして討伐されたでしょう。なので氏を使い続けたのです。