日本史に置いて鎌倉時代に歴史に忽然と現れたアイヌは、実は、 南米大陸南端の住民が船に乗って移動したものである!?

補足

貴重な御回答ありがとうございます。 チモール→沖縄北部から、対馬海流にのって、奥尻島、稚内、そして、千島、樺太、道東と、居住したのでなないでしょうか? もともと寒い地域が得意な人達です、 北を目指したんじゃーないでしょうか!? 占によって、水晶をつかって、天候を読み、海流を利用して、 新天地目指して移動したんじゃーないかと思いました。 如何でしょうか? 回答の方より、 これは、今から「約3,800~3,500年前」の北海道礼文島には、本州と同じ「縄文人」は居たが、アイヌ人は居なかったということを示唆しています。 縄文人といえばつきものなのが「縄文土器」であるが、アイヌ文化は「鉄器」であって、伝統文化の中に土器が全く見られない。 擦文時代(さつもんじだい)は、北海道の歴史のうち、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて、擦文文化が栄えた時期を範囲とする時代区分。 本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする(青苗文化も参照)。 後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた。 ありがとうございます。

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人間の顔の形態を決める遺伝子の多くは生存競争には関わっておらず、自然淘汰は受けていないと考えている。「中立進化論は、ゲノムの塩基配列レベルでは確立されています。それであれば、そのゲノムに由来する通常形質も中立進化論に則るはずです」。その仮説を証明するため、人間の顔の形成に関わるDNA配列を突き止める研究を始めようとしている。まず、多数の人間の顔のデータをとり、特定の形質によっていくつかのグループに分類する。そのグループ内で共通する塩基配列データと顔の相関関係を見ることで、要因となる配列を絞り込んでいく。例えば、とがった形の耳を持つグループからは、耳をとがった形にするのに関わるDNA配列を特定できる可能性がある。 ありがとうございます。 寒冷地適応も、進化論がベースになっているが、 進化論は絶対的なものではない!?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

北海道で、縄文時代から鎌倉にかけては土器文化! 後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化に入れ替わった それと日本人DNAを東京周辺だけをサンプルにするのはよくない 大和地方も入れて 関東人は、顔つきで言えば、女性は工藤静香みたいなタイプ。 推測、能登半島先端にも南方からの移動したグループが? 九州も、喜界カルデラにより、住む人がいなくなってから、 後に本州や沖縄から移住した!?

お礼日時:4/16 9:23

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アイヌは、Ασίαπλειόκαινο-Τριχωτό-Μογγουροιδ(アジアパライケアイヌトライコートモンゴロイド「アジアの古く遅れた奴ら、毛深いモンゴロイド」)であったとも考えられます。アジアパライケアイヌトライコートモンゴロイドという名称の途中の三音節の「アイヌ」という音節がアイヌ(Ainu)のことを言い表しているはずです。そしてアイヌ人は人種的にはモンゴロイドのカテゴリーのようです。

ありがとうございます。 アイヌも、日本列島やチベットに住んでいた源始日本人が、 ベーリング海ー北米大陸―南米大陸南端と移動して、 南米大陸南端に定住していた!? AD1200年頃そこから 船に乗って、西へ航海して、チモールあたりから北上して、沖縄、対馬海流を通って、現在の所に移住した!?

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「アメリカ先住民」と「日本人(縄文人)もしくはアイヌ民族」とが関係があるように主張している人がたまにいるが、 不思議に思うのだが、その人たちは、「アメリカ先住民」の「Y染色体ハプログループ」「ミトコンドリアDNA」をご存知なのだろうか? 「アメリカ先住民」の、おもな「Y染色体ハプログループ」「ミトコンドリアDNA」は ------------------------------------------------ ・Y染色体ハプログループ=主に「ハプロタイプQ(その他として、少ないが「C」「R」も検出)」 ・ミトコンドリアDNA=主に「ハプロタイプX」 ------------------------------------------------ 上記に対して、日本人は、 ------------------------------------------------ ・Y染色体ハプログループ=「ハプロタイプD1b、O1b、O2(ごく僅かとして、「C」も検出)」 ・ミトコンドリアDNA:篠田謙一より(1%以上のもの) ・ハプログループM(12%)←縄文人由来 ・ハプログループM7a(7.5%)←縄文人由来 ・ハプログループM8a(1.2%) ・ハプログループZ(1.3%)←渡来系弥生人由来 ・ハプログループM10(1.3%)←縄文人由来 ・ハプログループG(6.6%) ・ハプログループD4(32.6%) ・ハプログループD5(4.8%) ・ハプログループN9a(4.6%)←渡来系弥生人由来 ・ハプログループN9b(2.1%) ・ハプログループA(7.0%) ・ハプログループF(5.3%) ・ハプログループB(13.0%) ------------------------------------------------ ------------------------------------------------ 【参考として】 「ケネウィック人」については、デンマークの研究チームによる遺伝子調査の結果、アイヌ人及び縄文人との関係は完全に否定されています。 1996年に米西部で発見されて以来、起源をめぐる論争や裁判が起きていた「ケネウィック人」と呼ばれる約8500年前の人骨が、現在の先住民インディアンの祖先だとする遺伝子解析結果を、デンマークの研究チームが英科学誌ネイチャー電子版に発表した。頭蓋骨の形状からアイヌ民族やポリネシアの人々と近縁だとの説もあったが否定された。縄文人が船で海を渡ったとの俗説まで出ていた。 ↓ケネウィック人(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%BA#.E8.AB.96.E4.BA.89 ↑ケネウィック人がどの人類集団に属した個体であるかは結論を得ない状況が続き、ヨーロッパ人であるとの説が長らく有力であったが、ニューメキシコ大学のジョセフ・パウエル教授(人類学)は、アイヌ民族とのより有意なる類似性を指摘し、これを研究上の結論としていたが疑問も多く、後年のDNA調査により前述の二つの説は完全に否定されることとなる。最近のDNA調査により、Y染色体はQ系統でミトコンドリアDNAはX系統と判明し、典型的なアメリカ大陸先住民であったことがあきらかにされた。 ------------------------------------------------ 【結論】 「日本人(縄文人も当然含まれる)」と、「アメリカ先住民」とは、たとえ逆立ちしようが、「太陽が西から昇ろう」が、まかりまちがっても、関係など存在しないのです。完全な赤の他人です。 ★アイヌ民族のY染色体ハプログループは「D」である。 ↓日本人の片方の祖先である「縄文人」のY染色体ハプログループ「D」、チベット、アイヌ、縄文人が該当する。 .

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全くの「嘘」である。 日本人(大和民族)は、「縄文人」と「北京周辺に居住する中国人の祖先に近い系統(渡来系弥生人)(←漢族という意味ではない)」との混血民族です。 ↓国立遺伝学研究所(2016年9月1日) https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html ↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2016年9月1日)」 https://news.mynavi.jp/article/20160901-a074/ ↑三貫地縄文人のゲノム塩基配列を現代人のゲノムデータと主成分分析法*を用いて比較したところ、大きくアフリカ人、西ユーラシア人、東ユーラシア人にわかれるなかで、三貫地縄文人は東ユーラシア人にもっとも近く位置しました。そこで、三貫地縄文人と東ユーラシア人だけで比較したところ、図1のようになりました。ヤマト人(東京周辺に居住している日本人)が三貫地縄文人と北京周辺の中国人にはさまれた位置にあり、ヤマト人はこれら2集団のあいだの混血であることが示唆されます。 ----- ↑日本人の片方の祖先である「縄文人」 「縄文人」と関係があるのが、チベット民族でありアイヌ民族である。 チベット民族は、「縄文人の祖先」と「漢族」との「混血」である。 だから、チベット民族と日本人(大和民族)とは、遺伝学的に「似ている」ということになる。 ----- ↓完全な「嘘」である。 ------------------------------------------------ 南米大陸南端の住民が船に乗って移動したものである ------------------------------------------------ ↑「アメリカ先住民」と「アイヌ民族」とは、遺伝学的に「全く無関係」と判明しています。 「本土日本」の先住民は「縄文人」です。アイヌ民族は、日本人の祖先の一つである縄文人に極めて近い集団ですが、若干違いがあります。縄文人とアイヌ民族は、古代に、中国大陸のどこかで分かれた「別集団」と推定されます また、アイヌ民族は、おそらく本州方面にも、一時的に入ってきたものと考えられますが、その後、北海道方面へ引き上げていったと考えられます。 Y染色体ハプログループを見れば、縄文人とアイヌ民族とは、明確に別人類集団であることがわかります、つまり ------------------------------------------------ ・日本人(大和民族)の片方の祖先=縄文人 ・アイヌ民族の祖先=アイヌ系縄文人 「縄文人 ≠ アイヌ系縄文人」となります。 ただし、「縄文人」と「アイヌ系縄文人」とは、同じY染色体ハプログループ「D1a2a系」であり、極めて近い人類集団であることは確かです。 ----------- 【Y染色体ハプロタイプ「D1a2」詳細で見ると以下の通り】 ----- 「Y染色体ハプログループ」は、渡来方向と時間軸がわかります 2020年4月16日改訂のISOGGの系統樹(ver.15.58)による D1a2a*←アイヌ民族(81,25%)◆ D1a2a1←本土日本人のみ D1a2a1a←アイヌ民族(6,25%)◆、本土日本人(6%) D1a2a1a1←本土日本人のみ D1a2a1a1a←本土日本人のみ D1a2a1a2←本土日本人のみ D1a2a1a2←本土日本人のみ D1a2a1a2a←本土日本人のみ D1a2a1b2b←本土日本人のみ D1a2a1b2b1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1←本土日本人のみ D1a2a1a2a1a1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a1a←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1a1←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1a2←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1a3←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a1b←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1b1←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1c←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1d←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1e←本土日本人のみ --- 省略 --- D1a2a2←本土日本人のみ D1a2a2a←◆北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人 D1a2a2a1←本土日本人のみ --- 省略 --- D1a2a2a2b←本土日本人のみ D1a2a2a2b1←本土日本人のみ D1a2a2a2b2←本土日本人のみ D1a2a2b←本土日本人のみ ↓アイヌ民族の「Y染色体ハプログループ」は以下の通りです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E8%AA%BF%E6%9F%BB ↑ハプログループD1a2aが87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%) ---- ↓北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人の「Y染色体ハプログループ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA#%E5%88%86%E5%AD%90%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84 ↑北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800~3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体ハプログループがD1a2a2a(D-CTS220)であることが判明した。 【考察】これは、今から「約3,800~3,500年前」の北海道礼文島には、本州と同じ「縄文人」は居たが、アイヌ人は居なかったということを示唆しています。 ------------------------------ D1a2a*←アイヌ民族(81,25%)◆ の「*」とは、 「D1a2a1」系ではなく、「D1a2a2」系でもない、べつの「D1a2a」という意味である。 アイヌ民族の調査数が、日本人並みにべらぼうに多くなれば、D1a2a*=「D1a2a3」系とか「D1a2a4」系になる可能性があります。 つまり、日本人(大和、沖縄)とは、まったく別の「D1a2a」という意味である、これで「ハプログループ」でよく出てくる「*」の意味が分かったでしょう。 --------------------------- アイヌ人は、私たち「大和民族(ヤマト人)」の元となった「縄文人」に極めて近い系統の集団となりますが、おそらく中国大陸の何処かで「縄文人」と別れ、別行動をとり、樺太経由で日本列島に渡来したものと推定される民族集団です。 まず、北海道では、アイヌ文化の前に擦文時代があった。 そして、縄文人といえばつきものなのが「縄文土器」であるが、アイヌ文化は「鉄器」であって、伝統文化の中に土器が全く見られない。 擦文時代(さつもんじだい)は、北海道の歴史のうち、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて、擦文文化が栄えた時期を範囲とする時代区分。本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする(青苗文化も参照)。後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた。 擦文文化からアイヌ文化への移行についてははっきりしたことがわかっていない。 擦文式土器=「土師器」に近い(本州の「埴輪」も土師器) もう一つ、注意が必要なのは、「アイヌ人」は、「ヤマト人、オキナワ人」には入っていない、別の、第三の系統の人類集団の「DNA」が入っています。 ↓東京大学プレスリリース(報道機関への発表) http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html ↓ここを通過してきたという事です。本土日本人には「ニブヒ」のゲノムは含まれていないので、「縄文人」と「アイヌ民族」との間には、明確な時間差があったという事になります。

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↓もともと、中国大陸に「縄文人の祖先」の母集団がいて、南北から日本列島に渡来したと推定されています。これが「縄文人」です。

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モンゴロイドは日本列島にも流入していたという事ですよ。 そしてベーリング海峡が当時は氷河期で北米大陸と陸続きだったという事で、その地域に渡って南下していったという事だと思いますよ。 それは鎌倉時代より更に遠い昔の事ですよ。

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嘘です。 南米の太平洋側の海流は、南から赤道付近まで流れて来た後、赤道風により、赤道沿いに西に向かいます。 流れ着くのは、東南アジアです。 そこで、太平洋を北上する黒潮に乗ったら、北海道につく前に、沖縄、九州、四国、本州にたどり着きますよ。