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2021/4/11 11:29

66回答

藤がつく苗字について 時折、藤がつく苗字を持つ家は、藤原氏の血を引くと言う人を見かけます。

歴史 | 日本史96閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答誠にありがとうございました。 とても納得できました。 テレビ番組はどうしても、数字をとることが第一になります。 「藤」の入る姓の下りも、昔にテレビで放送されたのかもしれません。

お礼日時:4/12 19:33

その他の回答(5件)

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藤の名が付く苗字自体は昔の藤原から別れた。 幕末時点では殆ど藤の付かない苗字になってる。 明治時代に原則自由に強制的に苗字付けさせられた。94%程の人。壬生戸籍の族別集計数。 結果、現在では殆ど無関係の人。 あくまでも名前自体の由来、だから権兵衛さんが由来のある名前を苗字にしただけ。 平安時代からの家書持ち、それから作られるのが系図。家系図だけ自慢する人は明治に作った。 原本の家書は文書モンジョとも呼ばれ、家の記録集で家宝。国宝、重要文化財に指定されるのが大半。 親の実家は記録、殿さまからの手紙、出来事記録残るが、安武家なので指定されていないが、逆に家系図は作っていない。

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京の都で公家(上級貴族)として存続したのは、少数の藤原氏(五摂家等)。 藤原氏の傍系等の多数は、国府などの役人として地方に下り、その地を拠点として生活していきます。荘園等の警備をしたり、自分達の所領を守るため、武装するようになり、武士が誕生します。伊勢の藤原で「伊藤」や佐野の藤原で「佐藤」等を名乗るようになりますが、それらにより『藤』の字が付く苗字が多くなった要因ですね。 ちなみに『藤』が、付かない藤原氏の末裔も多くいます。平安末期に源氏軍にいた、弓の名手「那須与一」の『那須家』や徳川四天王の『井伊家』『本多家』、「伊達政宗」の『伊達家』等、藤原氏末裔を称します。 藤原氏が地方に下り、最初から農民等は少数だと思います。多くは、戦等で敗戦側になり農民になった人が多数だと思います。

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「藤」の字がついた姓が藤原氏の子孫と言われますが、正しくは「○藤(○とう)んが藤原氏の子孫であって、「藤○(ふじ○)」さんや「○藤(○ふじ)」さんは藤原氏とは全く関係ないようです。○藤(○とう)さんは近藤、加藤、斉藤とかよく耳にする名字ですね。

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藤原氏の中で、中央で公家として高位を占めるのは、一門の中でも頂点に近い存在です。藤原氏といっても中級以下は地方に赴任し、土着し、それが武士の起源ともなりました。その結果、藤原氏でも末端は地侍になったり農民になったり、まったくの地下人に紛れてしまいました。 農商となった藤原氏の末裔は、江戸時代には姓を失い、明治になって姓がつけられるようになって藤原をつけたケースが多かったのです。

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平安時代には藤原氏は公家、武家身分でしたけど、時が経て江戸時代には農民となっている人も多いのです。だから、藤のつく苗字が多くても、公家の藤原氏の血を引いているということに矛盾はありません。 もちろん、藤原の血を引いていなくても明治時代に藤を付けた苗字にした家もあったでしょうが。