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2021/4/12 18:10

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倒幕後、勤皇派政権は徳川一族の根絶やしをしなかっただけでなく

日本史46閲覧

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時代は19世紀ですので、さすがに戦国時代の風習はもうありません。 その上、薩長ら新政府は、常に外国の存在を警戒し、日本国をまとめて外国に対抗できる国作りが最大の主眼でした。倒幕運動は清国のような状態にならないという危機感が発端ですし、徳川の残党よりもはるかに外国の方が脅威でした。 実際、薩長政権はトップ人事こそ独占しましたが、中級以下の官僚は全国から満遍なく集め、オールジャパンで文明開花を推進しました。予算も鹿児島県や山口県を偏重することなく、必要な箇所に予算をつけました。 いろいろ批判される明治政府ですが、やはり当時の政府要人は偉かったと言わざるをえません。

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徳川一族と言っても例えば御三家は軒並みあっさり新政府に従っています。 新政府が出来たばかりの段階では、従っている大名達も当然、自分達の今後の境遇を考えているわけで、もしも従っている徳川家を根絶やしにしたら、他の大名達も「次は自分達かもしれない」と考えて新政府に刃向かう事は十分にありえます。 だから明治政府はそのような事をしませんでした。 それが国内を安定させるキモだからです。

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まず、日本全体を統治するという、 難易度の高い行政作業をこなせるだけの人材が、 薩摩や長州にはいません。 だから、財政や外交などの分野では、 実務に長けた幕府官僚の力を借りなければ、 新政府は立ち行かなかったのです。 >新政権で旧政権の人間を活用することは、特殊な例 ではありません。 現場を動かす実務官僚というのは、フランス革命などでも、 そのまま新政権の官吏になった者が多くいました。 >双方とも家族や親戚を殺され もちろん、肉親を討たれたりすれば、 いつまでも相手を敵として、憎んだ人もいるでしょう。 しかし、当時の戦争で戦死するような人は、 全体のほんの一握りですから、大勢には影響ない、という事です。

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旧王朝の関係者を根絶やしにするのは中国の伝統で、日本ではそのようなことはありません。 そもそも抵抗するのならともかく、抵抗しない徳川一族を根絶やしにする必要はありません。 戦争があれば殺したり殺されたりするのは仕方ないことで、それを恨んでも仕方ないですし、そういうことをいつまでも根に持つのは近隣の国のことです。

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質問者2021/4/12 19:13

半島でしょうか?

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明治政府にとって江戸幕府の役人はそれまでの日本の政治・軍事・外交を担っていたエキスパートなので是非とも活用したい人材でした。薩長の人間だけで政府の役職を全部埋められると思います?それに徳川家は慶喜の恭順で事実上降伏しており徹底抗戦した会津とは異なります。 少し前まで殺し合っていた同士が同じ政府でうまくやっていけるかですが、なんか勘違いしている人が多いようですが、殺人罪の殺人と戦争で相手を殺すというのは似ているようでまったく違います。殺人者の場合は殺す対象がだいたい決まってますよね。イジメに耐えきれなくなったのび太がジャイアンを刺殺する。兄を殺された妹のジャイ子がのび太を恨んで復讐を誓うみたいな。この場合は殺害が目的となっています。しかし、戦争の場合は目的を達成するために相手の妨害を排除する手段として相手方の兵士を殺害するわけです。 職業軍人は日頃から訓練しているわけですから、恨みで戦争することも敵国をずっと恨むこともありません。もちろん、仲間を殺されたらそりゃ恨む気持ちはあるでしょう。しかし、誰が殺したなんてわからないでしょ。それに自分たちも相手方の誰かを殺しているんです。それに恨み骨髄の人は新政府に出仕はしないでしょうし、薩長の人間もそりゃ辛く当たるでしょうがそれだけです。双方に共通しているのは日本の近代化を推し進めることです。個人の恨みなどそれに比べると取るに足らないものだったんでしょう。