最近、元寇は台風という神風のお陰で鎌倉幕府が辛うじて勝ったというものから、

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日本史 | ミリタリー119閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

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元軍とはいっても 生粋のモンゴル人は文永で数十人、弘安で百数十人しかいない 主力は高麗兵、弘安では南宋の敗残兵が加わるが、武器より農具を船に積み込んできた屯田目的、というよりは元が騒乱の元となる南宋の敗残兵を始末したいため、追放したような連中 元をはじめユーラシアの遊牧民は下馬して歩兵のような戦いはしない 歩兵は降伏した高麗のような従属国、投降してきた敗残兵や強制徴集した異民族の農耕民にやらせる 移動速度の早い遊牧民騎兵にはついていけないからだ 従って歩兵は使い捨て 日本遠征のモンゴル人はベトナム遠征に従軍したウリャンハダイのような有名な将帥は全くおらず、戦闘経験のない、どこの馬の骨かもわからぬ目付けだけだった 元の主力部隊は強敵のカイドゥ・ハンと対峙していた カイドゥはオゴタイ・ウルス、チャガタイ・ウルスを支配下に置き、キプチャク・ウルスも支援していた カイドゥは一時カラコルムまで攻め込んできた 一方、満州にいた東方三王家は配下の農耕民を日本に対する歩兵や船造りに徴集されてしまい、穀物生産が激減 元に反乱を起こした 東方三王家は手元に正規のモンゴル騎兵が残っていたため、元は苦境に立たされ、クビライ自ら老体にむち打ち親征せねばならなかった 日本の鎌倉武士は当時の世界で見ても珍奇な重装備の弓騎兵、しかも乗っている馬は蹄鉄もなし、去勢もしていないポニー 当然ギャロップなんか出来ない しかも日本の弓騎兵は馬上槍を有しておらず、打物武器は太刀のみ 日本で馬上槍が開発されたのは元寇が終わり、南北朝時代になった時 明らかに元寇の戦いで不利になったからだ それに日本の当時の武装では元の大型の船を沈める武器も手段もない ビザンツのギリシア火のような火炎放射器もないのにどうやって沈める? 船倉に穴でも開けた? やはり暴風雨で船同士が衝突したり浸水したのが事実だろう 日本側の騎馬兵には槍を持つ歩兵、従者が数人随伴していたから 騎兵的運用は無理 対馬や壱岐で日本側は殲滅されている

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どちらかと言えば「海を越えて何万という軍勢が侵攻する」事の困難さが第一にあって、鎌倉武士団が異常に強かったという程では無いでしょう。

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1回目は上陸を許した後で九州で抵抗しているときに相手の総大将が怪我して帰国せざるを得なくなり,全軍で帰国しようとしたら暴風雨で全滅(途中の島は壊滅的な被害)。 2回目は九州に防塁を築き上陸を防いでいる間に台風がきて全滅。 どちらも暴風雨のおかげには違いないが、2回目は相手の作戦にも慣れてるから上陸もほとんど許していない。ただ島は壊滅的。

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