戦国時代の後北条氏が、将軍を傀儡化するなどして滅ぼされた執権北条氏の名前を使ったのはなぜですか?

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北条早雲の素性 一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とする説が近代になって風聞され、通説とされてきた。しかし、近年の研究では室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とする考えが主流である。1950年代に発表された藤井論文以降、伊勢氏のうちで備中国に居住した支流で、備中荏原荘(現井原市)で生まれたという説が有力となり、その後の資料検証によって荏原荘の半分を領する領主(300貫といわれる)であることがほぼ確定した。 幕府申次衆の書状と駿河国関連の書状を照らし合わせたところ、記載された史料の「伊勢新九郎盛時」なる人物が同一である事も決め手となった。従来の説は文献の解釈の違いによるところが大きく、さらに「備中伊勢氏」説は史料が最も豊富で多岐にわたる事も出自解明に寄与した。

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北条早雲は足利茶々丸を暗殺しました。 執権北条氏(かつての足利氏の上司)でも名乗らないと、主君殺し(伊勢氏はよく足利氏に仕えてきました)と言われて体面が保てないからです。 特に伊勢貞継は足利家によく仕えたことで知られています。

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北条早雲は、当時「伊勢新九郎」という 近畿地方出身の無名人(知名度0の人)でした。 自分の知名度を上げるため、また 地元住民から親しみを持ってもらえるように 誰もが知っている地元の有名人の苗字を名乗った感じですね(^^)/ 同じような事をした人に、 幕末の「板垣退助」がいますよ(^^)

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北条という苗字のブランドイメージが、 関東では極めて高かったからです。 初代の通称北条早雲として知られる人物は、 実は生きている間には、北条姓を名乗っておらず、 旧姓の伊勢氏のまま、伊勢宗瑞と名乗っていました。 北条氏を名乗るようになるのは、二代氏綱からです。 氏綱は伊豆の小豪族として、細々と存続をしていた、 執権北条氏の娘に婿入りする形で、北条氏を名乗ったのです。 執権北条氏は、三代執権泰時、五代執権時頼などが、 善政を敷いたことで、武家政治家の手本のように、 尊敬を集めていました。 京都からやってきた、伊勢氏=後北条氏は、 当初、「他国の兇徒」(よそ者の悪人)などと、 関東の地生えの武士たちから警戒されていたので、 北条姓を名乗る事で、自分達は関東に善政を敷く為にやってきた、 というアピールをしたかったのです。