北条家が戦国時代を制覇できなかったのは関東を維持するのが精一杯だったから(北条側から他の大名家に攻め込む余裕がなかった)?

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お礼日時:4/23 3:55

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後北条家は元々伊勢氏であり、始祖である北条早雲は元々備中の出で若いころは京都で活動していました。 その伊勢氏が関東に進出して北条を名乗るのは謂わば関東の覇者たらんことを内外に示したことであり、関東より外に出る意思はあまり無かったものと思われます。 北条氏政の時代に最盛期を迎えて、今の関東でいえば茨城県の中部北部と栃木県の北部以外と千葉県館山周辺以外はほぼ制圧しました。

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関東を制覇するのが遅すぎたからだと思います。 北条氏が関東の大半を支配下に置いた時には、 畿内を中心により巨大な勢力が日本の3分の一を支配下に置いていました。 織田・豊臣政権です。 それを相手にしては勝負になりません。

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北条氏の本心はわかりませんが、勢力拡大のタイミングとしては遅すぎました。 北条氏の関東支配といっても、氏康の代にしっかりと固めていたのは、伊豆、相模、武蔵の南部程度です。つまり関東の一有力大名レベルです。 天正年間になり武田が滅んだ時には、織田信長という大勢力を前に、どうすることもできない状態でした。本能寺の変後の混乱に乗じて関東一円を支配しましたが、同時に中央では秀吉の支配が進んでいます。 小田原征伐の段階では、北条家の支配も極大に達していましたが、それ以外の日本の大部分はすべて豊臣政権という状態でした。

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北条氏に限ったことでは、有りませんよ。 上杉も、武田も、毛利も、島津も天下を治めることなど考えてもいません。みんな領国拡大の為の戦だけです。 天下を目指したのは織田信長だけです。

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北条氏、と名乗っている事からも明らかなように、基本的な立場は「鎌倉幕府の後継政権」です。すなわち、武士の本場は関東であり、関東を押さえている者こそが真の武家の棟梁なんです。 だから「京都に上れば天下が取れる」という考え方は最初から毛頭ありません。 これは室町幕府における鎌倉公方の立場を引き継ぐものと言えるでしょう。 関東を支配する者はすでに天下の半分を握っている。上方にどんな政権が出来ようとも、関東の支配者はそれと同格、いや、むしろこちらが格上なんです。 この観念からいけば、無理して周囲を征服していずれ京都を目指す、なんてのは邪道です、下衆のやることです。