純文学の定義について教えてくだい。 例えば、ファンタジーの世界が舞台、でも言葉の表現は秀悦でとても美しい

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様ご丁寧に有り難うございました。 個人的に一番腑に落ちたものをベストアンサーとさせて戴きます。

お礼日時:5/6 16:02

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純文学の定義はあまりはっきり決まっていませんが、人の内面をえぐり出した心理描写は必須でしょう。 またその心の葛藤などの原因になっているテーマがはっきりしていると良いとされます。 太宰治、夏目漱石、芥川龍之介は純文学です。

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ちゃんと勉強したわけではないので、あくまで持論ですが、、、 結論からいうと、純文学とは大衆文学以外のすべて、だと思っています。 小説というものが日本にも誕生した頃、最初は全部ひっくるめて「文学」でした。 当初は、作家が書きたいことを書きたいままに書いていて世に出していた。 しばらくすると、作家が書きたいことではなく、読者の娯楽という意図で書かれた小説がいくつも出てきた。それらの小説を「文学」の中でも「大衆文学」と呼ぶようにした。 「文学」は「大衆文学」と「それ以外の文学」になった。そして「それ以外の文学」を「純文学」と呼ぶことにした。 という流れなのではないか、と思っています。 つまり純文学とは、表現とか芸術性とかそういうことで決められるわけではなく、大衆文学かそうでないかで決められるのだと思います。 大衆文学とはエンタメに重きを置いた小説のことです。結果的にエンタメかどうかではなく、それを目的にしたかどうかです。「エンタメ小説を書こう」として書いた小説が大衆小説です。 エンタメがエンタメとして成立する条件として「解決」が必須です。 正義は勝つ、犯人は捕まる、付き合ったり別れたり、目的を成し遂げる、謎が解明するなど、エンタメには「解決」があります。「解決」するべき「課題」があります。 乱暴に言ってしまえば、大衆文学とは課題を解決する物語のことです。 それ以外が純文学。 課題らしい課題がない、あってもその解決は目的としていない。 そういう、解決など関係ない物語が純文学といえるのではないでしょうか。 ある意味、自由な小説です。エンタメにしなくてもいいんです。 「楽しめる物語書いたよ」というのが大衆文学。 「書きたいように書いたよ」というのが純文学。 そういうことだと思います。 決して、芸術性がどうとか、そういうことではないように思います。 そういう小説は「純・純文学」とでも分類すればいいと思います。 わたしなりの分類では、太宰や漱石や芥川は大衆文学です。 たとえどんな素晴らしい文章で書かれていようとも。

読者にも物語のゴール地点を想定できるのが大衆文学。 ハッピーエンドかバッドエンドかは分からないが、とにかくあの辺がゴールで、主人公はその地点に向かって進んでいる、というのが分かる小説が大衆文学です。それがエンタメです。 読者にゴールの想定はできないのが純文学。 主人公は前後左右上下空間時間、どこに向かってもいいしどこまで行ってもいい。ゴールなどどうでもいい小説が純文学。

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作家が、自己救済のために自分を材料にして書いた作品が純文学だと思う。 作家が、自分のこととは無関係に、生活費を得るために、資料・史料や空想力を駆使して書いた作品が大衆文学だと思う。 日本で「純文学」が一般的に言われるようになったのは大正末からで、それ以前は、一般の小説と通俗小説という区分けだと思う。 夏目漱石は、一般の小説を書いた作家。長編はみな新聞に連載された作品だから、発表の仕方としては大衆向けの小説だ。滑稽小説→深刻小説→自然主義という作風の変遷からして、純文学と大衆小説の両方を書いた作家といえなくもない。 太宰治は、純文学の作家といえる。 芥川龍之介は、頭は良かったが、小説家としての独創性のない人だったので、読書生活で得たネタ本を基にして、試行錯誤して書いた作品は、お話・物語にすぎず、文学性はない。晩年に、やっと文学性の感じられる作品を書き始めたと思ったら自殺をしてしまった。純文学を書くことに堪えられるような愚物ではなかったのだ。

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「大衆文学に対して、純粋な芸術性を目的とする文学」 を純文学と称するらしいのですが、歴史的には自然主義→私小説が主流派だった日本独自の区分けらしいです。 漱石などは自然主義からは外れていたし、何より(大衆文学のように)読んでいて面白いのでもし今生きていても芥川賞は取れないんではないかな?と個人的に思ってます。 しかし区分けするならおそらく「純文学」でしょう。太宰や芥川も。 >ファンタジーの世界が舞台、でも言葉の表現は秀悦でとても美しい こんな小説は純文学でしょうか? そうですね。 でもあいにく日本ではSFやファンタジーはどれだけ素晴らしくてもなかなか「純文学」とは認めてもらえない現実があるようです。

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純文学の定義、難しいですよね。 ラノベのSFは Not純文学、でもサン・テグジュベリは?星新一は?ってね。 質問者様は、どれだけ、いわゆる純文学を読まれました? 教えてほしいです。