ある本には会津初代藩主 保科正之は徳川忠長の仲介で父秀忠と対面したと書かれ

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そうでしたか。母親のお江の急変に公務をほったらかして帰国したマザコンぶりから。 腹違いの弟など見るのも嫌だと言うのが、正しいと思っていましたが。正之にしてみれば有難迷惑だったでしょうね。 兄としての情でなく。賄賂の押し売りとは。 結果的に家康の判断は正しかったし、どんな、名補佐役がいても、この性根では江戸幕府を三代で滅ぼしていたかも。 回答ありがとうございます。