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埼玉県の高校野球でかつて1970年代から1980年代に甲子園に出場していた上尾高校、熊谷商業、所沢商業が全く甲子園に出場しなくなりました。

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公立校には厳しい時代になったからですね。 私学とは資金力で差がついてしまいました。 上尾高校、懐かしいです。

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公立の名監督が転勤、退職、私学にスカウト。 が、あるためです。 また、私学が選手を集めることも大きな要因。 公立は、最低限度の学力を要求されるので、 良い選手を全部入れることは不可能。 時代の流れもあります。 全国的に公立は低迷、 現在、甲子園に出場している公立は、 何らかのカラクリがある高校ばかりです。 5教科成績5段階で平均3以上なら実技で入学させる。 静岡、前橋商などがそうです。 また、市立は監督が推薦枠を持っている。 1学年30人とか。 平均3にならなければ、四捨五入で3以上とか、 体育も入れて平均3以上とか。 明石商なんて学校のそばに寮まである。 埼玉も、これを導入すれば公立が出場できるでしょう。

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物事の転換期って、キッカケがあると思うんですよ。 それが野本 喜一郎監督の転任だと思うね。 昭和59年4月、浦和学院高等学校の野球部監督に就任。3か年計画でチーム強化に乗り出すと、昭和61年夏の埼玉大会で初優勝し、第68回全国高等学校野球選手権大会への出場を決めたが、自身は健康状態の悪化のためベンチ入りは叶わなかった。その後、大会直前に監督を辞任し療養を続けていたが、開会式当日の同年8月8日に膵臓出血で64歳の若さで亡くなった。 元々、上尾で春夏通算で6度、甲子園に導いた名将です。昭和末期迄は、埼玉県は質問者君の仰るとおり、公立全盛県。しかし野本監督の転任で勢力図が変わったのは間違いないでしょう。スパルタ指導全盛の時代に自主性を重んじる指導だったとか。3ヶ年計画を打ち出して、それが実現する訳ですからね。昭和61年夏なんて左腕・谷口 英功君(2年生ながら高校日本代表に選ばれる。現上武大監督兼教授)ー黒須 隆捕手(日産自動車時代にアトランタ五輪・銀メダル)、2年生内野手、鈴木 健君(西武→Yakultで活躍)がいたという豪華memberですからね。甲子園でベスト4まで進出するわな、という感じです。その後、昭和63年夏に「浦和市立旋風」なんてありましたが、平成に入ってからは「私学全盛県」になりましたね。現在は、岩井 隆監督率いる花咲徳栄、森 士監督率いる浦和学院、本多 利治監督率いる春日部共栄の「三強」に本庄一、聖望学園が絡む、といった勢力図ですね。「Soccer県で、高校野球は優勝しない。」なんていうのを聞いたことがありますが、花咲徳栄は、夏の選手権で全国制覇を果たし、浦和学院は、春の選抜で全国制覇を果たし、春日部共栄は、夏の選手権で準優勝という結果を残しています。私学は寮や施設が完備しているから、他都道府県から集まりやすい部分はあるでしょうね。 埼玉県を見ていると、それまで「公立全盛県」だった愛媛県で、上甲監督が宇和島東→済美に転任した途端に済美が強くなり、最近では松山聖陵、聖カタリナ学園といった私学が甲子園に出場するようになりました。お陰で松山商業の名前は聞かなくなりました。似ている気がしますね。

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埼玉に限らないと思いますが、 私学が選手勧誘に熱心というか強化している影響だと思います。 選手だけでなく、監督、コーチも勧誘の対象ですね。 花咲徳栄や埼玉栄が結果を出すと、さらにいい選手が集まりやすいし、学校の知名度も上がりますし… グランドや寮などの整備も費用面では公立に比べて自由にできる。 公立は資金面で制約が多いです。