蒋介石はあれだけ共産党を嫌っていたのになぜ西安事件で共産党への攻撃をやめる話を飲んだのでしょうか?

中国史 | 世界史26閲覧

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:5/5 16:12

その他の回答(4件)

2

張学良に捕らえられた蔣介石が殺害される可能性は存在しました。 張学良の交渉相手だった中国共産党(以下、中共)の中には蔣介石を 排除すべし(除蔣)という意見もありました。 例えば、毛沢東は蔣介石を処刑すべし、という意見だったようです。 しかし、コミンテルンは蔣介石の処刑を望まず、中共に 中国国民党との連携を命令したため、蔣介石の命は助かりました。 つまり、中共にとっての上位者であるソ連(つまりはスターリン)の 意向によって、蔣介石は釈放されたのでした。 ちなみに、この段階では毛沢東は党内有力者であっても、 最高指導者ではありません。 >話を飲んだ ちなみに、蔣介石は最後まで、合意文書に署名することを拒んでいます。 つまり、釈放された後に、約束を反故にするつもりだったのかも しれないのです。 第二次国共合作が成立したのは、37年9月のことであり、 それは同年の7月に盧溝橋事件が起きたからでした。

2人がナイス!しています

0

蒋介石は西安に軟禁されていたが中国共産党の周恩来などにより助けられたのでそれまでの方針を変えたのです。いわば敵に助けられたようなものなのであまり語りたくなかったのでしょう。

0

監禁されたら仕方がないんじゃないですか。まさか美人妻との㊙写真を流出させると脅されたわけでもないでしょうし。