帝国陸海軍では、銃の部品の互換性がなかった(同じ型の拳銃の弾倉が合わないとか)そうですが それでは航空機などまともに飛ぶのでしょうか?

ミリタリー | 歴史31閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご教示ありがとうございました。

お礼日時:5/6 23:47

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「日本軍の小失敗の研究」三野正洋著より、引用させていただく。 『“驚くべき無神経”戦闘機のスロットル操作 大戦中の我が国の航空技術は、欧米のそれと比較して大きな遜色はなかったとしている分析が一般的である。 しかし、現実にはアメリカ、イギリス、ドイツのみが第一級の技術を持ち、それから一ランク下がって日本、ソビエト、イタリア、フランスがあると考えるべきである。 唯一、戦闘機の開発に限ればこの差は小さく、なんとか前記三ヵ国に追随できたといってよい。 海軍向け戦闘機開発の三菱航空機 陸軍向け戦闘機開発の中島航空機 を中心に、設計者たちは日夜心血を注ぎ、高性能戦闘機の開発に取り組んだ。それによって零戦をはじめとする一流の機体が生まれたわけである。 その一方でほとんど知られていないが、信じられぬほどの設計の不手際がなんのチェックも受けずに製品化され、目に見えないところで操縦者に負担をかけていた事実もある。 ここではその代表的な例を示そう。 単座戦闘機の主要な操縦系統として、 操縦桿 右手で握り昇降舵、補助翼を操作 操作ペダル(フットバー) 両足で方向舵を操作 スロットルレバー(自動車のアクセルに相当)左手で操作 となる。ここで問題にしたいのは、スロットルレバーの操作である。 このレバーの形としては、 一、扇型のベースに沿ってレバーを前後に動かす 二、把手のついた鉄の棒を直線的に押し引きする といった操作が一般的である。当時の戦闘機の場合、海軍では一のタイプ、陸軍では二のタイプが多い。 現在の軽飛行機では、比較的新しいものが一のタイプ、設計の古いものが二のタイプとなっている。 問題は日本陸軍の戦闘機である。 どの戦闘機も、スロットルレバーの鉄の棒(太い針金)を押したり引いたりしてエンジンの回転数を制御するのであるが、ここに大きな設計ミスが潜んでいた。 スロットル操作が機種によって正反対なのである。 ある機種はレバーを押し込むと、スロットルが開となり出力が上昇する。別の機種はレバーを引くと出力が上昇。 全部の戦闘機について調査することはできなかったが、 九七式戦闘機と一式戦隼一型 引いて開 一式戦隼二型 二式単戦鍾馗 三式戦飛燕 四式戦疾風 押して開 五式戦 引いて開 となっていたようである。 これでは生命を賭けた空中戦の最中に、パイロットが戸惑うのは当然である。 戦闘機パイロットは、戦争の全期間を通じてすべて同一の機種に乗り組んで闘うわけではなく、何種類かを乗りこなさなくてはならない。 空中戦のさい、もっとも頻繁に使うスロットルレバーの操作が統一されていないとは、どういうことなのだろう。もちろん機種が変わるときに慣熟訓練を行なうはずだが、これではいざというときに正反対の操作をする者も出てくる。 この事実を知るとき、日本の軍用機の艤装(ぎそう・組み立て後に必要な装備をほどこすこと)担当者は、いったいどのような神経を持っていたのか疑いたくなるのは、筆者(三野正洋)ばかりではあるまい。 スロットルの操作など、当然どの機種でも統一すべきであった。 我々があるメーカーの自動車を運転するとき、アクセルを戻すと出力が上がる構造になっていたら、とてつもなく恐ろしい。 それが陸軍の戦闘機では現実に起こっていたのであった。 筆者(三野正洋)は自動車が好き(運転も整備も)で、運転歴は三○年を越えている。しかし、それでも同じ理由から操作にとまどうことがある。 所有する二台のドイツ製乗用車は、ともに左ハンドルのマニュアル・トランスミッション(M/T)付であるのだが、バックギヤ(正確にはリバース・ギア)の位置がH型ゲートを中央にして正反対なのである。それだけではなく、 四ドアセダン 右の端にあり、右に倒してから変速レバーの上部を押して手前へ倒す 二ドアスポーツ 左にあり、左へ倒してから押して手前に倒す となっている。そのため二台を乗り継ぐたびに目で確認しないと、間違った操作をしてしまう。リバース・ギアだから頻繁に使うわけではないが、それでもときどきはミスをする。 操作が簡単な自動車でさえこうなのだから、戦闘機においてはなにをか言わんやである。同じ隼でも一型と二型では、スロットルレバーが逆になっているのだ。 設計、艤装を担当する者は、使う人の立場に立って作業を進めなくてはならなかったであろう。』

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ここで言う「互換性が無い」というのは、さすがに「弾倉が合わない」というレベルのことではありません。 それではただの「不良品」です。 例えば、「三八式」までは、部品交換した場合に、「作動はするけれど少し引っかかる」とか、「何かカックンってする」みたいな、せいぜいそんなイメージです。 これは、別に「日本」だけの問題ではなく、「欧米」の武器でも「第一次大戦」くらいまでは「結構ありがちなこと」でした。 だから俗に、「日本の第二次大戦の技術事情は、欧米の第一次大戦くらい」とか言います。 と言っても、この「技術事情」というのは普通に言う「技術力」というより「環境」みたいな意味です。 「欧米」では、「公差技術」とか「標準規格」という考えが最初に明確に打ち出されるのが「革命後のフランス」だと言われていますが、それがまがりなりにも確立するのは「第一次大戦」くらいだとされています。 当時の武器の部品などは「ほぼ規格化」されていたんですが、それでも「組立工」が調整する必要が残っていたんです。 それが「第一次大戦」という「大消耗戦」に遭遇して、各国が「規格」を見直し、徹底化していくんです。 さらには、戦後に「標準規格」からさらに「国際規格」みたいな概念も考えられるようになります。 こういうのにはいろんな逸話もあって、アメリカでは1920年代に発生した都市火災などで、各州から応援に来た消防隊が、消火栓の規格違いなどで全く役に立たなかった、などのことが続発したんです。 こういう経験がまとまって結実するのが、欧米でも「第二次大戦時」なんですが、日本は「経験不足」というか、工業的にはそれ以上に、不完全な部品を使ってでも生産しないと全体量を確保できないという事情もあってとてもそうならなかったんです。 知られている事例の一つでは「レーダー」で、わざわざ「ドイツ人技師」を招いていたのに、「規格部品」を作れの一点張りで、「空襲はもう始まるのに、わが社で全ての真空管を自作している時間は無い、入手できる部品を使いたい」と言ってもダメで、結局ドイツ直接の技術のレーダーは一台も完成しませんでした。 なんか、日本の昔の「ODA援助」とかを思い出す話ですよね。 有名な「奇跡の発動機」と言われた「誉」エンジンも、「中島飛行機」の試作チームが製造した部品から組み立てた「本体」は「熱処理」に苦労したものの、ほぼ順調に「2000馬力」で回った訳です。 ところが「量産」ということで、部品を外部発注し、製造も一般ラインに乗せたら、途端に「1500馬力しか出ない」「そもそも動かない」とトラブルが続出、さらには、納品したら「使いこなせる部隊」と「ほとんど動かせない部隊」に分かれてしまったんですね。 要するに、「日本」という国全体での「技術力」が不足していたんですね。 同じ「敗戦国」でも「ドイツ」とか凄いなあと思うのは、例えばあの「シンドラーのリスト」の工場製品なんか「不合格」にしているじゃあないですか。 「日本」なら絶対「納品」だと思います。 砲弾の部品が足らなくて、「有るもの全部使った」みたいな話がいくつもありますから。 ともかく、「互換性がない」というのはそういう意味で、「誉」なんかを「公差」で対応すると「1/1000ミリ」クラスの精度が必要になってきます。 でも、それでは対応できないから、一桁低い精度で造られた部品で「調整」するってことです。 この辺は、要するに、「時代としての表現」みたいな違いがあります。 例えば「コルト・ピースメーカー」、有名な「西部劇の拳銃ですが、当時は「完全互換」が売りでしたが、現代の基準で言えば「互換性はない」です。 逆に「三八式」なんかは、よほど古い部品でなければ、かなり普通に使えるようです。 ただ、コレクターアイテムとして人気なのは、古い、部品が「吸いつくように結合する」モノだったりします。 日本の拳銃「ベビー南部」に信じられない高価なものが存在するのは、「公差部品ではない吸いつくような仕上げの良さ」にあるそうです。 だから、ともかく「力」がなかったという訳でもないんで、「ゼロからの再建」みたいな戦後経済では、あっさり(でもないんですが)「標準規格」を受け入れていますよね。 戦前でも「1年間生産ゼロで耐える」覚悟があれば、切り替えは可能だったと思います ともかく、これは「ミリタリ」を離れた「ガチの技術の話題」でもあるんで、「技術史」の本を当たれば、本は一杯あります。

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精密な工業製品には部品に寸法公差というのがあり、 ±0.01とか図面に記載するのが普通ですが、三八式歩兵銃は 部品図面に寸法公差がないので最終段階で職人が一丁づつ部品の すり合わせして組み立てています。 昭和になって陸軍が三八式の量産ラインをアメリカのP&Wに 発注した時、同社が独自に寸法公差を入れた図面に 直しているので、昭和9年以降の製品であれば寸法公差があり、 すり合わせしなくても組み立て出来るようになっています。

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