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2021/5/12 7:20

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大伴弟麻呂や坂上田村麻呂と戦ったアテルイと前九年の役の安倍氏ですが、

日本史 | 歴史27閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさま、丁寧にお教えくださってありがとうございました。 大変良いお話を聞けてよかったです。 ありがとうございました。

お礼日時:5/12 18:06

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大伴弟麻呂や坂上田村麻呂の時代は、農民を徴兵し軍団を作ります。 農民は、武器を持って戦ったことがなかったのでからっきし弱かったのです。蝦夷たちは、馬に乗り機動力があり、馬上から弓で射撃してきました。相手にならないですよ。 結局、朝廷は、農民からの徴兵はあきらめました。 代わりに、諸国の郡司たちの子弟で、日ごろから弓馬の稽古に励んでいる者たちを集めて、戦うようになりました。彼らがのちに武士と呼ばれる人たちです。 前九年後三年の役では、そういう武士たちを集めて、戦ったのです。源氏が指揮し、恩賞も源氏が出したので、関東では源氏につく武士が増えてきました。

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平安時代の東北は、都の政府にとっては外国と同じでした。 外国での戦争ですから、兵士、武器、食料などを現地調達するのは困難で、後方基地だった東海道・東山道諸国から調達し、前線に送り込むという仕組みになります。こういう大規模な補給システムを維持するのは、政府にとっても大変な負担ですから、なかなか長続きしません。 しかも、東北の人々にとって、政府軍は外国軍なのですから、民心を得ることはできず、戦闘に勝利を収めても足元は不安定でしたから、結局は、成果が上がらないまま中断せざるを得ないことが多かったのです。 また、蝦夷には、一地方を統一的に支配するような大勢力は、長い間成立することがなく、アテルイが活動した平安初期には、中小勢力が各地にばらばらに存在し、政府軍に対抗している状態でした。 こういう状態では、決戦を挑んで一気に決着をつけるということが、そもそもあり得ません。政府軍は、ゲリラを相手にするのと同じで、叩いても叩いても次々に新たな敵が現れるという展開となり、最後は根負けしてしまうことになります。 安部氏の場合は、まとまった戦力を持っていましたが、そのためゲリラ戦とはならず、決戦型の戦いになったことが、最後は政府軍に敗れる原因となったという見方もできると思います。

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自分たちが細々と幸せに暮らしている所に 攻めて来る朝廷軍は、単なる侵略者でしかありませんので、 仲間や家族を守るために、蝦夷は必死で戦いました。 蝦夷が強いのは、体格が縄文人の血を引いており、 朝廷軍よりも「がっしりしている」事と、 蝦夷の地は「山岳地帯」が多く、平野での戦闘しか経験のない 朝廷軍には「山岳ゲリラ戦」を得意とする蝦夷軍は、 厄介な相手だったためですね(^^)

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