「個性的な人間」と「常識的な人間」は両立しますか?

1人が共感しています

ベストアンサー

0

その他の回答(3件)

0

そういえば「少年革命家」なるユーチューバーが話題ですわな。まぁその親も。 「個性的」というのは、言葉としては耳触りがいいのですが実は非常に抽象的な部分がある。例のユーチューバーとお父さんは「個性的」ですかねぇ。 常識的ではないのは間違いありませんが。 常識的と個性的は対義語にはなり得ないでしょう。また個性的ということばもきちんと定義をしないと、人によってその言葉の意味することが違ってきます。小学生で髪の毛を紫に染めて学校に行かない、と言うのは「個性的」なのかもしれませんが、自分は他人と違うことを強調するために髪の毛を染めたり、反抗したりするってのは「非常識であることを常識的に具現化しているに過ぎない」ともいえるかと。 スレ主さんがおっしゃるように「個性的な人は、変人と言われることが多い」というのはあるかと思いますが、変人がみんな個性的なわけではないかと。むしろ非常識の範囲も飛び越えてしまっているので、「変人」なんだと思います。 ですから「常識的な人間よりも個性的な人間がいい」という考えは私としては全く賛同をしません。 そもそもそのように考えた時点で「個性的であること」が何かしらの基準からの比較対象でとどまってしまっているのではないでしょうか。 「個性的」っていうのは、その人本人がそれを主張する時点ですでに何かしらの基準にとらわれてしまっているのだと思います。 「常識にとらわれずに考えよう」と言っている時点で、常識の存在は必要になっているというのもありますから、常識というのもある意味一定の役割を果たしているとも言えます。 一般的に通常の教育を受けてきて「常識的なこと」を学んだ人であっても、自分の考えをそうした範囲にとどめることなく、考えることができれば、「常識的な人間」と「個性的な人間」は十分両立しうる、と判断しますが。 いかがでしょうか。

0

現代で両立できたとしても後世で、心理学者やら精神科医やらが本を出版してあの偉人はああだこうだと言って障害という名の個性を付与してくれますよ。 貴方が常識と個性を磨き偉人になれたら、貴方のちょっとした癖、「貧乏ゆすり」「鼻ほじり」「爪噛み」「数回の遅刻」あらゆる理由を付けて個性だらけの人間にされます。 今の現状で既にそうですから未来も変わらんでしょう。