今、梶井基次郎の「檸檬」を文庫で読んでいます。

読書 | 文学、古典162閲覧

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ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん、色々アドバイスしてくださって、ありがとうございます。 返信させていただいた方も、興味深いお話をお聞き出来て勉強になりました。読書って深いものだったんだな、と思わされました。 ベストアンサーは、とても迷いましたが既にそういう状態であった事と、「あ、これで良いんだ」と思わせてくださった方に。 私らしく素直にこれからも楽しもうと思います。

お礼日時:6/9 20:15

その他の回答(6件)

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当時の時代背景や梶井基次郎を知ったからといって, つまらない小説はつまらないです。『檸檬』なんて 中学生が読む小説ですよ。

ご回答、ありがとうございます。 私が以前買い漁った文庫は、本来中学生の時に読みたくても読めなかった本ばかりです。とりあえず、3~40冊ほど買いましたが、長い事活字離れしていたので、まだ一部しか読めていません。実際に中学生の時に読めれば良かったのですが、もういい大人なので、頭が固いのかより一層吸収力が低いです。何とか、楽しく読めれば、と思い質問しました。小説でも何でも、良いものはいつ触れても良いものなんだと思っています。

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梶井基次郎作品は、散文詩を味わうように楽しんではいかがかと存じます。 ストーリィから面白みを引き出そうとしても、難しいように思われます。 「前知識ありき」で鑑賞するのは、却って文学の味わいを損なう気がしてなりません。 芥川作品はストーリィを楽しむ作品が多いですね。 前もって「これは『今昔物語』から」などと調べて読むより、後から「実はそうだったのか」と知ったほうが楽しめそうに感じます。 「面白さ」というのは、ストーリィに重きを置いた楽しみ方でしょうか。 「うつくしさ」「鮮やかさ」を味わう楽しみ方もあろうかと考えます。 「稚気」やら「懐かしさ」、「愛着」などの「感覚」を表した文芸作品も多いのですよ。

ご回答、ありがとうございます。梶井の作品は、やはり一風変わった作品なんでしょうね。普通の小説を想像していたら、咀嚼しても上手く呑み込めないような、そんな作品に感じます。読み手側の感受性も高くないと理解できないような。 >「前知識ありき」で鑑賞するのは、却って文学の味わいを損なう気がしてなりません。 このお言葉に、大袈裟ですが勇気をいただいたような気がします。確かに梶井の作品は、小説というよりはポエムのような感じがします。とりあえず、読破してみる事から始めてみようと思います。

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檸檬は有名なので読みましたが、面白さを理解できませんでした。純文学というのは文学好きが読めば面白い小説を言うのではないかと思います。 当時の文学青年たちが好んで読んだ小説を読んでいれば、ここはあの小説、そこはこの小説と、関連性が分かるのだと思います。いわば文学オタクの読み物です。アニメオタクがアニメの有名なセリフをもじったり、有名な場面を前提に話したりしますよね。それと同じだと思います。 英文学やロシア文学の古典は日本人が翻訳で読んでも面白い。人間の普遍的な姿を描いています。当時のイギリス人やロシア人が感じたものは現代の日本人にも共通です。だからこそ時代を越え国を越えて古典になったんです。 純文学は当時の文学オタク限定の作品です。外国語に訳されていますか。日本の純文学なんて地下アイドルみたいなものです。一部に熱狂的なファンがいるが、やがては歴史に埋没してしまう。

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わたしは「檸檬」面白いと感じましたよ。マイベスト10に入ります。 わたしは時代背景など分かりません。でも「檸檬」は良かった。 主人公の病気による鬱に感情移入出来るかどうか、だと思います。 とても短いので、3回くらい読み返してみてはどうでしょう。

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純文学は深さを追求し、大衆文学は面白さを追求します。 生きるべきか死すべきかと、一日中そこに立ち止って考えていたのでは、ストーリーとして面白いはずもありません。しかしその思考に深さを求めるなら一日中立ち止まって考えている必要があります。それが純文学です。純文学に面白さを求めるなら、ストーリーによる目先の変化というような面白さではなく、問題をひたすら掘り下げることによって得られる深さの醍醐味を求めるべきです。 文章に関しては、純文学は表現できないものを表現しようという試みであり、大衆文学は表現できるものを表現する営みであると言えます。したがって純文学の文章はそれなりにわかりにくかったり読みにくかったりした文章となる傾向が必然とります。たとえて言えば、大衆文学を書くのは大工が家を建てるようなもので、手慣れたものだかそれ以上のものではない。純文学は建築士が一から図面を起こして書くようなものです。

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「檸檬」という小説は、価値観の転換期にあってある種の閉塞感の中にある青年が、青果店で求めた1個の檸檬に触発されて、その閉塞感を打破せんとする物語です。 主人公は言ってみればスランプでした。スランプとは成長の一過程であり、古い価値観から新しい価値観への脱皮にともなうところのスランプです。主人公は昔と今では好みが変わりました。昔は丸善が好きだったが、今は崩れかかった街だとかむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きになった。そんな主人公が青果店で檸檬と出会い、これこそ自分が探し求めていたものだという気がします。