創価学会と神社(神道)について質問です。長くて申し訳ありませんが、全文読んでくださった方のみご回答下さい。

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正面からのご回答に感謝します。学会が対外的にはソフト路線を強調するきらいがある中で、回答者様の学会の実態の捉え方は頷けます。やはり神社に対する抵抗感は根強いです。 でもやはり、教学に強い回答者様でも日蓮の言葉ではその一節しかないのですね。鎌倉時代の神道がどんなものだったかもわかりませんから、明文を探すのは無理なのかも知れません。解釈次第ということですね。 私は「池田時代」という熟語を創作し、意識的に使っております。ちょうど幕末の時、天地のように自明だった「ご公儀」の存在を「幕府」と呼ぶことによって歴史の中で相対化し、終わることもあり得るという意識を植え付けたように。

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神社仏閣、共に毛嫌いしてませんよ、日本の伝統文化であり誇りにさえしております、 鳥居をくぐらない等、日蓮正宗時代の名残りで実に下らないのです、 創価学会自体は大昔から自由だったのです、 日蓮正宗寄りの学会員がくぐらない事はあったようです、 ただ参拝はしません、創価学会には御本尊があるからです、 しかし結婚式などの場合は神社のルールに従い形だけの参拝は私はします、それが礼儀と思うからです、 実は私達の唱える御本尊にも神は含まれているのです、ですので結果的には諸々の神を拝んでいるとも言えます、 つまり神は否定では無いのです、 表現が難しいですが、根源の法が南無妙法蓮華経と名付け 法によって働く作用が神と名付ける、 と私は考えます。

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ご回答ありがとうございます。神様の捉え方については全く同意いたします。 但しそのような考え方は学会員の間ではまだまだ一般的ではないと思うのですが、その点はいかがですか? 日蓮正宗時代の名残とおっしゃいますが、学会が宗門と違って国家神道と戦ったと主張していることを考えると逆説的ではあります。日蓮正宗側の意見も聞いてみたいものです。 近年になって宗教色のあるお祭りなどに対して学会が柔軟になっているのは、時代の変化だけではなく、宗門と別れたことによるのでしょうか。

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ありませんよ。 創価学会は日蓮の説いた法華経こそが唯一の正しい教えで有ると考えてますからね。 ただ創価学会も10年以上前に地域に貢献するとの方針を打ち出してますからね。 地域のお祭りの運営など学会員も携わっていたりしてますからね。 普通に神社に行きますよ。流石に参拝はしないけどね。 今の時代町内会でも何でも学会員がいないと成り立たなくなってるのが現実です。 学会員は人が嫌がる事、やりたくない事を率先してやりますからね。

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10年以上前に何かしらの方針転換があったのですね。それは知らなかったです。 創価学会は組織が大きすぎるので、逆にそこだけでコミュニティが完結してしまう弊害があったと思うのです。 そこは今、どのくらい変わっているのか。 知恵袋の学会員は文明化された人が多いのか、私の肌感覚とは若干違うのですが。

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創価学会は他宗教施設であっても関係無く行きますよ。

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そうでしょうかね。 あなたの周りにいるのは、学会員の中でも文明化された人たちではないでしょうか。 知恵袋にいる学会員も、学会の平均的な意見とは思えない時もあります。

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私は非学会ですが、父は学会?です。ただ、学会的なことは一切したことがありません。聖教新聞をとったり、葬式を学会式にするだけです。 ルールがそうなっているのは仕方ないと思います。でないと学会の存在意気がありません。ビジネスのシーンでも同業他社との摩擦や、CMでのスポンサーバッティングなどのタブーもあるからこそビジネスとして成り立っていると思います。もし、競争や軋轢がなかったら今頃人類は石器時代のままです。

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学会的なことは一切したことがないのはご自身でしょうか、お父様でしょうか。 私が時々意外に思うのは、親の信仰に無関心だったり、 むしろ反発すらしている場合でも、神社にだけは行けない人がいることです。