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2021/7/12 3:15

55回答

地球は丸いとわかってそれを言った時地球は丸いよと聞いた世界の人々はどんな反応だったんでしょうか。

回答(5件)

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神を冒涜する不埒な考え方として、非難されました。

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質問者2021/7/18 11:16

ほんとですか?! それはとても興味深いですねぇぇ

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有名なのは織田信長が「理にかなう」として即座に理解したという話ですね。 しかし地球説を聞いてもそのまま信じないことも普通にありました。 たとえば儒学者で徳川家康のアドバイザーのような立場にいた林羅山は、受け入れませんでした。宣教師との討論での話です。「宣教師は基本的なこともわかっていない」としてバカにしたようです。 仏教界も須弥山の世界観に固執していて、明治になっても地球説を教える国に抗議していたりします。 地球説を聞いても、どうなんかな?という期間があって、そのうちに常識になったという感じではないでしょうか。 ちなみに日本で地球説が広まったのは江戸時代中期くらいで、マテオ・リッチの『坤輿万国全図』が輸入されて読まれるようになってからだそうです。

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質問者2021/7/18 11:18

なるほどぉ!! 今僕達が本当に地球は丸いのか?っと思う気持ちと余り変わらない状況ダットたという感じですかね... ありがとうございます!

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自分の子供の頃に当てはめると分かると思うのですが。 私は子供の頃それを誰かに聞かされた時、父だったかもしれませんが、非常に驚いたものでした。 今74歳にもなっていますが、当時はそんなにテレビで明らかにされる訳でもなく、地球儀で知った程度です。 それでも私は何ら疑いもなく受け入れた記憶です。 昔の頃は地球儀も発達してなかったので、聞いた人は半信半疑でなかったのかと思います。 ところで本題から外れるので無視されていいです。 私だけの考えだからです。 惑星の公転には大疑問があった筈なのに、殆ど誰もと言っていい程疑問してません。 今の科学では大量に浮いていた物質が集まって来て、中心に太陽周りに惑星が出たとされているのですが、これで惑星や太陽(恒星)が回転になったのでしょうか? 宇宙に浮いていると自然に全体で回転していたと、宇宙の学者は考えているようです。 しかし物質は全体で上下左右前後と集まって来るのでは、球体になりそうです。 恒星では確かに球体なので、これでいいのですが、惑星の固体でも球形です。 しかし公転の軌道では、どうでしょうか。 惑星も集まって来る時上下左右前後と来ます。 そして恒星を囲むように集まって来るので、軌道が平らな面になりそうもありません。 恒星の周りにこれを取り囲むように、離れてた位置の軌道に存在出来るでしょうか? 全体の惑星が全て恒星の重い重力に引かれるだけで、もっと大きな恒星になりそうです。 そして全体が集まって来るのは全体の周りから来るので、回転さえ起きそうもないようです。 これ程大きな疑問にありながら、太陽を中心に惑星が公転になっています。 ところで惑星の自転が起こったのは、これが集まって来る時に回転し始めていた事になっていますが、これも上で述べたように怪しいのです。 全ての方角から物質が来たからです。 それで私はこの疑問を解決する為に、新たに太陽(恒星)が出来た理由を考えて回答しているので載せてみます。 今の科学で言っている宇宙観を否定しているので、説明の為に長くなってます。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14227774769 上を辿ると1987Aと言うのが出ないのですが、それは下を入れ替えて下さい。 https://hubblesite.org/contents/media/images/1995/49/374-Image.html

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どんな反応だったか解る記録はありません。 なぜなら、文字で記録が残されるようになる前から「一般の人でもおそらく地球が丸い程度のことは知っていただろうと推測される」からです。 有史以前から人は大地が丸い、天空が丸い程度のことは「常識として認知していた」と言えます。 もし少し賢い人が周囲に「地球は丸かったんだ!」といったところで、周囲の人は「知ってたけど、どうした?」っていう反応でしたでしょう。

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質問者2021/7/12 15:58

なるほどぉぉぉ!そうだったんですか... とっくの昔から解明されていたんですねぇ...

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地球が丸いなんてのは、紀元前のかなり昔から学者は知っていたんだろう アンティキティラ島の機械は1901年にギリシア沖で沈没船から引き揚げられたが、紀元前3世紀ー紀元前1世紀中ごろの間に製作されたと考えられており、 2006年11月30日学術雑誌ネイチャーは、アンティキティラ島の機械研究プロジェクトによる新たな復元模型の完成を報じた。・・の機械が天体の位置を予測するためのアナログ天文計算機もしくは太陽系儀であることが裏づけられた。 調査の結果から、この機械は37個の歯車を持ち(30個が現存)、太陽と月の位置を予測するために用いられた、と推測された。惑星の静止する点(留)に言及している文章があることから、研究者らは惑星運動も表していたかもしれないと考えている。前面には、太陽と黄道十二星座のための目盛りがあり、太陽と月の位置、月相、そしておそらく惑星の運行を示す針があった。背面には(2つの中心を持ち半円で構成されている)2つの表示盤があり、さらに2つの重要な天文学上の周期の状態を示していた。その1つは太陽、月、地球が同じ相対的位置関係になる18年周期、もう1つはより正確な3サロス周期、54年と1日(日食の予測に必須)である。また別の目盛りがあり、メトン周期(19年、235朔望月)とより正確な約76年の940朔望月の周期であるカリポス周期を示していた。わずかにずれた軸と溝に入ったピンとで連結された二つの歯車を含む、画期的な歯車群により月の位置と月相が示される。ヒッパルコスの理論と、角速度に関するケプラーの第二法則の良好な近似に従って月の移動速度は変化し、近地点近くでは速く、遠地点は遅くなる(ケプラーの法則の項を参照)。 2008年7月31日、「ネイチャー」に機械に関する更なる詳細を報告する論文が掲載された[52]。この論文において、他の様々な発見と共に、この機械には、4分割され、1区画が1年で、全体として4年周期を示す表示盤がある事実が提示された。この表示盤はそれぞれの年に開催される、2年もしくは4年周期の(古代オリンピックのような)競技祭典を表していると考えられている。月の名称が読み取れ、それらはコリントスの植民地(また結果的にコリントスと、直接的な証拠があまり残っていないシラクサと以前より推定されている)で使われていたものであった。研究者たちはこの装置はシラクサ人によりデザインされ、アルキメデスの功績に由来しているのかも知れない、と示唆している。 -------------------------------- 紀元前の時計なのにケプラーの法則が反映されてるって・・ 一般市民も地球は丸いって知っていたのでは

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