戦国時代 打ち首にして首だけさらされた見せしめの刑がよくあったようですが 石田三成など打ち首で首がさらされた場合 首から下の体はどうされてたのですか またさらされた首は最後はどうなっていたのですか

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:7/24 11:17

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京都の大徳寺三玄院の住職が首と胴体を引き取り境内に埋めたそうです。 明治45年に改葬が行われた際に、墓石の下から首と胴体が切断された遺骨が 見つかったそうです。 (首と胴体が、生前と同じ様につながれた状態で埋葬されていました。) ↓大徳寺三玄院の山門前の石碑(石田三成公御墓所)

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胴体は、刑場の近くに穴を掘って埋めます。首は、カラスが食べます。 首の皮と肉剥がし、しゃれこうべから、さかづきを作って宴会で回し飲みしたのが信長です。

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