日本史中世について

日本史 | 歴史38閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさんありがとうございました。

お礼日時:7/25 12:44

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守護大名は、諸国で国人を被官に組み込んで勢力を肥大化させた世代ですね。 鎌倉時代の大名は、そういう地縁的な主従の集団よりも、血縁的な集団という性格がまだつよかったです。 同族以外の家人たちはいましたが、室町時代のように「ものいう家臣団」ではないという印象です。規模が違います。 血縁集団だったころは、同族間でそれぞれ別の主人に仕えて、それぞれの利益を追求することも許されていました。本家の当主が誰になるとか、分家にしてみればあまり大きな問題ではありません。 しかし本家のもとに一族を束ね、家臣団を組織していくと、彼らは当主の浮沈や振る舞いに左右されやすく、誰が当主になるか、それは自分の将来にどう影響するか、という利害関係が複雑化します。 これは、大名肥大化の副作用とでも言いましょうか。 そういう厄介事も抱え込んでいたので、守護大名は将軍の権威というものをけっこう欲しがっており、家督の継承に太鼓判を押してもらうことが定着していきます。

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室町時代になって単独相続になって、より争いがキツくなります。 そして、「守護」は幕府が決定します。 室町時代の守護は初期は地元武士団の長でしたが、足利氏の一門に交代していきました。 つまり、元々、守護は幕府が決定するものだった上に、より将軍との結びつきの強い足利一門なのですから、相続争いの必勝法が「将軍との結びつき」になりますね。

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室町時代を仕切っていたのは、足利幕府で力は弱いですが 権威があって裁判権を持ち土地の訴訟や遺産の分配にも介 入していましたから、大きな決定権があったのです。