カトリックの聖母マリア様について思い出せない。とはいえ、私が卒業した学校の宣教団は現存している。 ただ、思い出す必要もないのだろうか?

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ひとの記憶を含め思いは忘却の彼方に消え去るもの。 でもあの時確かにピエタリさんは宣教団の学校に居たし、そこにマリア様があった...それは記憶だ。それでは失くしたものはなんだろうか? ひとは自分が「在る」と思っているが、自分を構成する細胞物質は17年でほぼ全部の材料が入れ替わる。意識しなくてもリニューアルされている。 だったら意識を構成するモノ(?)も入れ替わって不思議はない。構成要素の入れ替わりが大きな構成を変更するのも、体が自分でありつづけても身体の変化は年々歳々明らかに起きている。意識が変わってこころが変わって不思議ではない。 それを「変節」と責めるか?それは自然を非難するものそんなことしてどうする。「思い出す必要もないのだろうか?」そう! 変化こそ真実。真実にたどり着くのを目指すという思想は綺麗に見えて逆なのだーーーそれはキリスト教にあって『天路歴程』を尊ぶ。 ピエタリさんにいま贈る言葉は「我思う ゆえに我在り」デカルト

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何事も全ては神の意思なしには起こりえない

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