仏教は、欲望や煩悩を取り払うことで苦悩を取り払い、悟る(解脱)する事を目指しているならば、「神頼み」だとか、「絵馬」「祈祷」みたいな初詣の神社等で願いを叶える為にやってる事って的外れじゃないですか?

宗教 | 哲学、倫理192閲覧

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前提が間違っています。《願い》を《煩悩》と捉える必要はありません。《願い》イコール《煩悩》ではないからです。煩悩となる因は《願い》ではなく「欲」です。そして「執着」です。 何かを願う行為は、全てが「欲」ではないし「執着」でもありません。 その証拠に「四弘誓願」とか「本願」と言う言葉が佛教にはあります。何れの用語にも「願」が出て来ます。 もうひとつ。 《欲望や煩悩を取り払うこと》を目指す佛教と、そうではない佛教があります。代表的には、華厳経と法華経の教えです。法華経では《煩悩》と《悟る》は排他的にはなりません。 解説書が色々ありますから、手にとって見て下さい。天台宗でも真言宗でもこれは同じです。

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仏教の修行が進んでくると、神頼みはしなくなりますよ。 全てが神仏の思し召しとして感謝です受け止めるようになります。

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本当に解脱を目指している僧侶で有れば願い事はしないと思いますよ。

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仏教には法鏡という鏡の例え。 神道にはお宮の真ん中の鏡が置かれている。 映し出された己の願いはその鏡に気付く事で受けた願いを叶えねばならない。 易からず優れなさい、それが貴方の望みでしょ?って自身遠回りしながら本質に気付かさせる祈り願い。