山川の教科書に「1949年5月にベルリン封鎖は解かれたが、東西ベルリンは分断された。」とあるのですが、壁ができる前にどうやって分断したのですか。また、分断前は自由に行き来できたのですか。

世界史 | 一般教養81閲覧

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>壁ができる前にどうやって分断したのですか。 ここでいう分断と言うのは上に書いた市行政がソヴィエト管理地区(=ベルリン(東))に独自の機関が作られ、従来の全市共通一体の体制が崩されたことをさします。 >また、分断前は自由に行き来できたのですか。 約1年の封鎖中も歩行者や自転車は自由に境界線Sektorengrenzeを越えて4つの管理地区を行き来することができました。地下鉄U-Bahnや市電、国電S-Bahnも境界線をまたいで運行していました。 境界線での抜き打ち検査や身柄拘束はなくはなかったですが、50年代後半に比べればまだまだゆるやかでした。 市民は通勤や通学あるいは親戚縁者の訪問や映画館、観劇、コンサートなどで日常的に境界線を跨いで移動していました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ドイツ語を混じえ有難うございました。

お礼日時:9/16 20:56

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ベルリンは東ドイツの真ん中にありますから、市に入る道路を封鎖すればそのまま封鎖できます。 西側諸国は、飛行機で物資をピストン輸送して対抗しました。 ベルリンの壁が建設されるまでは、東西の行き来は自由でした。東に住んで西に仕事に行くとか、その逆とか。 ある日突然境界線が鉄条網で仕切られ、塀からレンガやコンクリート壁へとベルリンの壁が出来ましたが、そのまま双方に用事で滞在したまま取り残される市民が続出しました。 若者は身軽に身一つで西側に流れ込みましたが、そうでなければ、泣く泣く東側に居残ることになりました。 ただし北朝鮮ではないですから、老人になれば簡単に西側に移住できたそうです。 東側にとって年金の負担が減りますから。

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5月には西側はドイツ連邦共和国(西ドイツ)を成立させ、東側は10月にドイツ民主共和国(東ドイツ)を成立させたので、ベルリン市内にも国境が誕生しました。1961年8月12日までは東西ベルリン市内の行き来は可能でしたが、独立した国家ができたので、主権が分断されています。 世界には、国境線に何もないところは結構あって、普通です。「東西ベルリンは分断された」は行政が完全に分割されたことを意味するのでしょう。