昨年の大河、麒麟がくるですが、 話の締め括り方がイマイチ納得いきません でした。 信長が徐々に魔王の本性を現してきて、 光秀が自分の手でケジメをつけた 訳ですが。

ドラマ | 日本史241閲覧

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放送再開直後は、退屈な回の 連続でした。\( ̄0 ̄)/ もしかしたら、予定されていた 合戦シートがカットされて 急遽、脚本を書き直した とかかも知れませんが。 それにしても。 石川さゆりは、確かに急に 居なくなりましたね。┐('~`;)┌ 八上城で磔になるのかな? と思ってました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん、ありがとうございます。 やはり、後半の内容に不満足あるのは 私だけではなさそうです。(^.^) 題材は良いのに、勿体ない、、

お礼日時:9/25 21:13

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だんだん意見が合わなくなってきてそして回りからはあなたが麒麟を連れてこれる人だと変に鼓舞されてました。信長は天下布武で、この言葉はドラマの通り天下を静かにすると言う意味であり臨済宗の僧侶から進言されたとも言われます。信長はとにかくそのために邪魔になるものは全て死滅させると言う考えだったかも知れませんが光秀は行き過ぎだと思った。信長の心にある苦悩や意図も読めなかった可能性はあります。そう言うキャラに作られたようにも思います。麒麟は家康かも知れませんがそう家康に感じた光秀が家康を殺そうとする信長にもはやここまでと謀反を行った、信長は頭が良いのでそれも理解する、結局最後の時にはお互い天下を統一する麒麟について納得をして戦ったかも知れないです。結局キングメーカーとしての役割を演じたと言う事かも知れません。信長を押し上げ最後には家康を残すと言う結果になりました。

なるほど、最後は家康を麒麟と 見込んで残したわけですね。   それにしても、染谷君の信長の 感じ、最初からヤバイ雰囲気ありありってわかりそうなもんですけど。 、、それを言ったらおしまいか。 (^.^)

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「麒麟がくる」では初期から光秀の性格には問題ありですよ 幼馴染の高政を煽てて持ち上げ「最後までついて行く」ようなことを平気でいうくせに「なんか違う」と最悪なタイミングで裏切る その後の光秀はさっさと切り替えて他の主君探すが光秀が去った後の高政はぼろぼろで戻って欲しいと頼むがキッパリ断られすぐに死去 次は嫌がる義昭を無理矢理将軍にさせたのに慈悲深かった義昭が少し変わったからと信長に乗り換え義昭は追放、でも義昭も光秀と再会したら嬉しそう 信長には散々期待かけてあそこまでの心理状態に追い込まれたのに支えるどころか不満ばかり しかし信長も光秀を恨むどころか「一緒にどこかに〜」とか言い出す粗末 光秀パターンでは家康へ心動いた段階で謀反しかあり得ません このドラマのタイトルでありテーマの「麒麟がくる」の麒麟は徳のある君主のもとに降りてくるという話なのですが同時に徳がなくなれば即去ってしまうことを意味するということなのでしょう たぶん今作では光秀は麒麟を具現化した存在で「徳」のなくなった主君には我慢できないし主君も自分の変化を自覚してるから光秀の心変わりを責められず同時に執着するということだったのかなと思いました ドラマのラストは光秀生存伝説通り生き延びた光秀が家康を助けるために関ヶ原に向かうシーンのイメージなのかも? だとすれば伝説だと光秀はその後事故死するから家康は難を逃れられるというハッピーエンドラストなのかもしれませんね

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長年の大河ファンを自認している者です。しかし、昨年の『麒麟がくる』はハッキリ言ってガッカリしています。コロナの放送休止明け(確か8月30日でした。)からは一話だけ見てやめてしまいました。途中で挫折した大河は『花燃ゆ』『いだてん』以来です。かの『平清盛』でさえ最後まで見ていて、友人から「まだ見てたの?」と呆れられた位だったのにです。『麒麟がくる』は不満点が多く、「良かった」と思う人の気持ちが全く分かりません。私が評価できるのはオープニングの音楽くらいですが、それなら『平清盛』も同じです。去年は岐阜の大河ドラマ館まで足を運んでいて、開始当初は「これからも見よう。」「こんなに面白い大河は『真田丸』以来だ。」と思っていた位だったのにです。 架空人物ばかりが出てきて物語が煩雑化してしまい、(コロナ明け後からは特に)ドラマがいくら進んでも登場人物のアクションが小さく、口を動かしてばかりで(台詞を追いかけるのに)疲れてしまい、見るのが億劫になってしまいました。これでは「理屈臭い」と不評だった、『徳川慶喜』や『平清盛』と同じではないかと。所謂「ナレ死」が多いし、光秀の活躍や戦国ファンなら避けて通れないシーンは割愛される代わりに、架空人物の出番が多くなっていました。光秀のドラマなのに架空人物(特に駒)の活躍が多いのは、どういう事でしょうか? 登場人物の配役もミスマッチでした。染谷将太の信長、佐々木蔵之介の秀吉、風間俊介の家康は特にですね。信長はやはり『利家とまつ』の反町隆史のイメージが強く、丸顔で低身長の染谷はイメージと重なりませんでした。しかも背が低かったと言われていた秀吉は、信長よりもノッポです。家康も、後に『真田丸』で狡猾さを武器に幸村の前に立ちはだかる、「狸親父」になる事が想像できません。それに、誰も彼もが同じ顔に見えてしまい、疲れてしまいました。モックンの斎藤道三はラストを含め評価できましたが。 クライマックスは山崎合戦ではなく本能寺の変だったという事、納得できません。光秀の人生は山崎合戦という悲劇を描いてこそ、幕引きができるはずです。それなのに脚本の池端俊作氏はどうやら最初から光秀の最期を描きたくなかったらしく、そこまで端折られて、しかも駒が光秀の生存を信じて妄想するという結末になっていました。私に言わせてみれば、それは光秀に対する立派な冒涜ですよ?池端氏には光秀に土下座して謝って欲しいくらいです。悲劇的な最期を描かないというなら、源義経は?石田三成は?真田幸村は?赤穂浪士は?坂本龍馬は?新選組は?西郷隆盛は?一体全体どうなのでしょうか?『西郷どん』も中途半端なラストに納得いきませんでした(銃弾を浴びて桜島の前で大の字になって「ここいらでよか」と言うシーンでした。別府晋助に介錯されるのではなかったのですか?大久保は滅多刺しだったのに?)。 その代わり今年の『青天を衝け』は楽しんで見ております。東京五輪やコロナの影響で話が短縮されてしまいますが、最後まで楽しんで見させて頂きたいと思います。架空人物が出てこないし、あっさりとしていて、違和感なく見ていられます。来年の『鎌倉殿の13人』も、三谷幸喜氏脚本という事もあって楽しみです。 長文申し訳ありませんでした。『麒麟がくる』が面白かったと思う方は、酷評ばかりで本当にすいません。

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駄作だったと思います。 特に、敢えて多くの架空のキャラクターを多数、 重要人物として登場させているのに、全然役立っていません。 ヒロインである駒やその親代わりの東庵、歌舞伎踊りの伊呂波大夫、 忍者の菊丸など、本来物語を膨らませる役割の彼らが、 本筋の話にうまく絡んでこれずに、 単にストーリーの邪魔にしかなりませんでした。

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架空人物を膨らませるから、 退屈な場面のオンパレード。 それだったら、朝倉、浅井や、 丹波攻め、天正の馬揃えなど 掘り下げて欲しい場面はたくさん ありました。 光秀の家臣たちも存在が薄すぎ るし。 春日局なんて、明智家三話くらい しか出ないのに、余程ちゃんと してました。 そんなだったら、むりに奇を てらわなくていいから、王道で いいのに。

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期待して見始めたのですがちょっとがっかりして終わりました。 ・光秀の心の動きが薄っぺら。これじゃ、「ドラマ」じゃなくて歴史うんちくバラエティーです。 ・歴史上の人物の「ドラマ」を描く「補助線」であるべき架空の人物たちの暴走。もはや補助線ではなくなっていた。

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