ある本に、日光東照宮は、江戸城の鬼門(北東)の方角に作られた、と書かれているのですが、そうなのですか。

補足

皆様ありがとうございました。 やはり鬼門(北東)の方角では絶対にないですよね。直感的におかしなことを言うものだと思って質問したのですが、自分の直感は正しかったようで安心しました。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しくご回答いただいたのでBAにさせて頂きます。とても分かりやすかったです。 〉徳川家にとって最高の権威の源泉である家康の御霊・東照大権現を「鬼門封じ」なんかに使うはずがないでしょう …まったくその通りだと思います。

お礼日時:9/29 6:41

その他の回答(5件)

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勧請というのは分霊させることっすから、久能山と日光山に家康をまつろうとしてるわけっす(久能山と日光山のラインで関八州の防波堤になるといったところっすかね)

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鬼門がどうたらこうたらとかは、ことごとく昭和以降のオカルト連中がこじつけたに過ぎません

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江戸城の鬼門を守るために建てられたのは上野の寛永寺です。 京都の比叡山延暦寺が平安京の鬼門を守るために建てられたのはご存知ですよね?では上野の寛永寺の正式名称をご存知ですか?なんと東叡山寛永寺と言うんです。 東叡山とは言うまでもなく「東の比叡山」という意味です。つまりこの名前は、寛永寺が延暦寺と同じように都の鬼門を守るために建てられたことを示しているのです。

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東照宮が鬼門封じというのは誤解です。が、完全に誤りというわけではありません。 江戸を守るのは、 ・北を守護する寛永寺 ・鬼門を守護する神田明神 ・南を守護する増上寺 ・裏鬼門を守護する日枝神社 です。東照宮は「東照大権現」となった家康を天の中心北極星に見立てているという説があります。つまり鬼門・裏鬼門封じの総仕上げというところでしょうか。

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江戸城の鬼門(北東)の守りは、上野寛永寺と言われています。 「家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。金地院崇伝の日記である『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。」(ウキペディア) この話も、よく聞きます。