街道が整備された江戸時代以前は長距離の陸上移動は 「高い山々を尾根道歩き」と、 「いかだ下りで」あった? かといってどこにでもいかだがあるわけでなく、

補足

高い山々を尾根道歩きは、街道の基本 現在なら道は、谷筋を遡って最後はトンネルになるが、 昔は、谷底に道を作ったら、大雨が降るたびにアウト 山越え道は、尾根筋を辿るのが普通 平地を行くときも、低地は避けられました。 古くからある街道は、台地の尾根筋を経由しており、 微高地を選んで敷かれている 尾根道歩き 筏は、帰るときは徒歩 舟や筏が通行する河川には、これと並行して 人が上流側に遡るための道がある 山地を越える場合、最初は川沿いの道を上っていき、 舟が通わないような険しい山中に来たら、 今度は尾根伝いの道を辿っていくというのが、通常のパターン 水深が浅い川では、徒ち渡りは当然 なるほど! 馬篭から妻籠も、熊野古道も、 というか紀伊半島を南北に縦断する、大峰奥掛け道なんて、 1000m級の尾根伝いですね!? そしておくとろあたりから、川下り 北岳の南アルプスの3000m稜線も、 夏には鉱山技術者や修験僧の街道だった!? 北アルプスなどでは、平安時代のものと思われる祭具等が発見される 古代から、宗教者、鉱山技術者、猟師らは、 高山の尾根を辿りながら、遠方まで行き来していた

日本史 | 登山177閲覧

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追記 もう一つ、「泳いで渡る」ですが、さすがに泳ぐということは通常はしませんが、歩いて渡ることは普通に行われていました。橋というものが少なかった時代の人は、足を水に濡らして渡ることを苦にしなかったのです。そのため、水深が浅い川では、徒ち渡り(かちわたり)は当然のこととされていました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

最初は川沿いの道を上っていき、 今度は尾根伝いの道 馬篭から妻籠も、熊野古道も、 というか紀伊半島を南北に縦断する、大峰奥掛け道なんて、 千m級の尾根伝いですね!? 北岳の南アルプスの3千m稜線も、 夏には鉱山技術者や修験僧の街道だった!? 北アルプスなどでは、平安時代のものと思われる祭具等が発見される 古代から、宗教者、鉱山技術者、猟師らは、 高山の尾根を辿りながら、遠方まで行き来していた

お礼日時:10/22 11:31

その他の回答(4件)

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江戸時代ともなれば「いかだ下り」というより、 河川を横切る「渡し船」でしょうね(^^)

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江戸時代に整備された街道は、藩をまたぐ幹線ルート。 それぞれの地域には集落間を結ぶものがありその中にも幹線と呼べるものがあります。

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戦国時代以前は、そんなもんですよ。 陸地は、なかなか進めませんでした。 しかし、海は違います。縄文時代から、小舟で、九州から北海道まで行っていました。 海流を利用した航海ですよ。

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そんなことはないです。よほどの山国での特殊な事例です。 道路は古代から現代まで、ほぼ同じ場所で作られています。 https://www.mlit.go.jp/road/michi-re/index.htm