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明治維新の中で儒学思想はどんな役割を果たしたのでしょうか。

日本史263閲覧

回答(4件)

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”economy”に対して「経済=経世済民」という訳語・解釈を与えてしまった様に、徳治主義を温存させてしまったことかと思います。 economyとは、単に「社会の生産活動や分配の在り様」を指しているだけです。 結果として、上位下達の意思決定様式や家父長制の継続など、封建主義的因子が脈々と受け継がれ、近代との奇妙なキメラになってしまった点だと思います。

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幕末の尊王攘夷が朱子学の理念から生じたと一般に言われるが、実はあまり根拠がない。朱子学(儒学といっても基本は同じ)において、夷狄を追い払うという攘夷は本筋でない。儒学の王道では、夷狄を開明化させ包摂するものであって打ち払うのではない。打ち払うのは覇道であって王道でないからだ。秦始皇帝のような儒教によらない覇者がする行為が攘夷である。真の儒者はこのようなことは本意でない。 また、尊王、王に忠たることは儒学でも言うが、これは絶対的でなくあくまで王が天の正道に基づいている限りである。そうでない王は天命を失い、失脚させ革命が正当化される。これが儒学の基本の易姓革命である。日本の尊王にこのような理があるだろうか、日本のそれは天皇支配の絶対化にあり革命など認めようがない。 したがって尊王攘夷は、つきつめれば日本的な思想であり、国学や神道の影響のもとに生まれた意味が強い、水戸学とはそのような国学、神道、儒学の混合思想であり、特に後期の水戸学はそうだ。 儒学の思想は日本化されて江戸時代に広く普及した。それは武士中心で忠と義を優先させすぎたものになった。儒学の中心思想は仁や孝の精神で、孝はまだしも仁の心は日本では弱かった。町人儒者には仁を強調した伊藤仁斎のような人もいたが。

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儒学の一派の朱子学が武家社会において忠君思想としてはぶりを効かせていたけど、明治になると儒学の忠君の部分が天皇への忠誠へと変わった。 ではないでしょうか。道徳としての儒学は以前からあり明治以降も存在していたわけですが。

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儒学の一派である朱子学が水戸学の基盤です。尊皇攘夷も中国の儒学者が生み出した思想です。南宋が元(モンゴル)に滅ぼされそうになっていた時の事です。