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なぜ明智光秀は織田信長を裏切ったのでしょうか?

日本史 | 歴史402閲覧

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Q「なぜ明智光秀は織田信長を裏切ったのでしょうか?」 史料面からは「室町幕府」を再興したかったようです。 ①「本能寺の変」の際に「室町幕府旧臣」たちと行動を共にしている。 ②「本能寺の変」後に「土橋氏」に「将軍を京都に上洛できる準備を始めました。詳細は将軍にお聞きください。」と報告している。 ③「本能寺の変」後に二次史料からでは「毛利家」に上洛戦を要請しようとしていた。※羽柴秀吉に捕まる。 ④そもそも明智光秀が織田信長と接点が生まれたのは「室町幕府幕臣」として「室町幕府再興」のためだった。 このように他の様々な想像からなる「黒幕説」などと違い、この「室町幕府再興説」のみは史料もあり状況証拠も揃う状態です。 ここから明智光秀は「室町幕府崩壊」の「戦国時代」にあって、一度は幕府再興を諦めて「織田政権」に賭けたが、自身が思っている状態とは違ったために、再度「室町幕府」再興を志し織田信長を討ったと思われます。

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城の攻略の為母親を人質に差し出して開城したのに信長はその城主を殺してしまい結果母親も殺されてしまう。 天に二物は要らないとばかりに天皇を廃止しようとしていた。

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家康は信長の死を知って明智に殺されるぐらいならと自刃しようとして家臣に刀を奪われています。 どう考えても不可能に思える伊賀越え(信長の敵)を敢行して二手に分かれて最短距離を駕籠に地蔵の頭を乗っけて人が乗ってるように装ってもう一つのルートは家臣と装束を交換してなんとか家臣の城にたどりついた後も警戒して入城しようとしないので家臣が兵を連れて外にでて初めて入城してますし、家康陰謀論は無いですね。 秀吉も秀吉自身ではなく黒田如水ならわかりますが死後オロロして今にも泣きそうだった様ですし黒田如水に運が廻ってきましたなと言われてルートも全て如水の采配ですから秀吉が目論んだと言う事も無いです。

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田中氏とともに近江高島の田中城に籠城し、後年田中城を攻めました。朝倉氏でも同様です。そのような身の持ち方、問題解決の思考を持っている人だったのでしょう。下克上です。

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家康と光秀が裏で繋がり、信長を消したのでは?。。。 西洋の国が、家康に入れ知恵した可能性もあるかもしれません。

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光秀は織田軍団の№2でした。当然、信長からも信頼されていましたし2人の関係は決して悪くありません。 しかし光秀は、蓮舫さんが言うように「№2じゃダメなんですか?」と自問自答して、「№1がいい!」という決断をしたんです。 光秀以外の軍団は皆、地方で戦っていました。秀吉は中国で毛利氏と、勝家は北陸で上杉と、一益は関東で北条氏と、丹羽長秀は信長の三男信孝の補佐役として四国へ向かう直前でした。つまり京都にいる信長・信忠親子は少ない人数で丸裸の状態です。これには訳があって、京都は信長の勢力圏の中心です。敵対勢力はいません。また織田軍団№2の光秀が近くにいますから、信長は安心していたと考えられます。信長が油断していたとは言えないでしょうね。そういった状況の中で、「№1になりた~い!」という野心を抱いてしまった光秀は、後先を考えずに信長と信忠をやっちゃった訳です。 あくまでも私見です。