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2021/11/20 8:29

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セルビアとクロアチアはユーゴスラビア王国時代の頃から、仲が悪かったそうですが根本的な原因は何ですか?

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クロアチア人とセルビア人はビザンティンのユスティニアヌス大帝により現在のハンガリー付近に侵入してきたアジアからの遊牧民アヴァール人に対する防波堤とするため、誘致したのですが フランクによりアヴァールが討伐されると クロアチアはフランクから後は神聖ローマ帝国、ヴェネツィア、アヴァールの後に来襲し定住化するマジャール人(ハンガリー人)と接触する機会が多くなり クロアチア王国を建国したトミスラヴ王はローマ教皇により王位を認められ、カトリックの布教を受けます クロアチア王国を最大版図にしたズヴォニミル王もローマ教皇に王位を追認され、カトリック化は促進され、ドイツ、ハンガリー、イタリアの文化の影響を受けます (ズヴォニミルの名は現在のハプスブルク家の末裔でカーレーサーのフェルディナント・ズヴォニミル・ハプスブルクの名にも使われ、ハプスブルク家とクロアチアの密接な関係が伺えます) クロアチア王国が衰退するとハンガリーと同君連合となり バルカンに攻めてきたオスマンに対する防波堤となります 16世紀からズリンスキー家などクロアチア人軍人がハプスブルク家の元で活躍し始めます クロアチア人猟兵(軽歩兵)部隊はパンデュールと呼ばれ、対フランス・ブルボン朝、対プロイセンのフリードリヒ大王、対ナポレオンの各戦いで活躍し ルイ14世がパンデュールの胸飾りを真似、それがネクタイの元祖となりました 1848〜49年の三月革命を発端としたオーストリア帝国内での諸民族や自由主義者の反乱に対しイェラチッチ率いるクロアチア軍はハプスブルク家に対し忠誠を誓い、反乱軍討伐に活躍します 1878年のボスニア・ヘルツェゴビナ占領の時はクロアチア人将軍フィリッポヴィッチが率いたクロアチア、ダルマティアに駐留するクロアチア人主体の第6、第7、第18、第20歩兵師団が駐留 モスタルを主都とするヘルツェゴビナに多く住み、自作農主体のクロアチア人の大歓迎を受けますが 大土地所有者の多いイスラム教徒は自分の地位を剥奪されるのではないかと恐れ武力抵抗 大部分の小作人がセルビア人も望んていたセルビア王国による併合を阻止され、カトリックに強制改宗を強いられるのではないかと疑心暗鬼になったセルビア人も武力抵抗 しかしクロアチア人部隊は約3年で鎮圧に成功します 第一次世界大戦でもモンテネグロ制圧戦ではクロアチア人部隊が活躍します 一方、セルビアはビザンティン、そしてアジアからの遊牧民ブルガール族が建国し急速にスラブ化したブルガリアの影響が強く、宗教も正教に改宗 セルビア王国を建国したステファン・ネマーニャはビザンティンのマヌエル1世による討伐を受け屈服 マヌエル1世はステファン・ネマーニャを破った際に伝令を帝都に派遣し、芸術家に急いでマヌエルがネマーニャを破り、ネマーニャがマヌエルの前で膝を付き屈服しているところを模したレリーフを作らせ 捕縛したネマーニャとセルビア人捕虜をわざわざ帝都まで歩かせ、帝都についてネマーニャが屈服したシーンのレリーフの前でその説明を長々聞かせる嫌がらせを受けます マヌエル1世の在任中は臣従していたネマーニャもマヌエルが没すると即独立します セルビア王国最盛時のステファン・ドゥシャンはセルビア人とギリシャ人の皇帝を自称し衰退したビザンティンの代わりに十字軍の副産物のラテン諸国や小アジア内陸のルーム領のトルコ人に対抗しました セルビアはブルガリアとともに南スラブの正教の砦としてオスマンに抵抗しますが 結局、オスマンにより制圧されます その後はティムールと戦ったアンゴラの戦いでオスマン軍の一部として参加したりします このようにクロアチアとセルビアは誘致こそ一致はしたが 未分化時代の歴史はすぐに打ち切られそれぞれ違った道を歩みます 日本(倭)と半島南部の百済、新羅、加羅諸国と未分化の時代が7世紀まで続いたよりも短い時間でクロアチアとセルビアは完全に分化するのです 文化は勿論、考え方も違うし自民族の王国が各々繁栄したこともあるのでプライドも高く、各々相手を見下す傾向にあります

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彼らとさらにボスニア人のあわせて3民族はセルボ=クロアチア人という元をたどれば同じ民族です。 しかし、この地域がトルコ、ロシア、オーストリアの勢力衝突の最前線となったために、セルボ=クロアチア人はこの三国の代理戦争を数百年にわたって繰り広げてきました。ちょうど米ソの代理戦争でいがみ合う朝鮮民族みたいなもんです。数百年も対立してきたので、もはや敵意が簡単には払拭できない。 しかも文字も宗教も文化も別になって、同じ民族という意識も薄れています。

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元々違う民族、宗教が違うのをオーストリア帝国内において、他の民族とも一緒くたに統一されていたというのがそもそもでしょう。その後のユーゴ連邦でも同じこと。 ロシア、プロイセン、ナポレオンフランス、ナチスドイツ、ソ連 というようなわかりやすい敵がいる時代で且つ、ハプスブルク家や大チトーなど強力な指導者がいればまだなんとかまとまっているように見えましたが、やはりそもそもに無理があったわけで。 一応お題目的にはスラブ民族自体の統一汎スラヴ主義や南スラヴ統一主義などの美しいテーマはありましたが、 日本で例えるなら、例えばアジア人というくくりだけで、中東や南アジアや東南アジアの人たちと民族的な一体感や親近感を得ることができるのかということです。 分裂している今の方が正常で自然な状態ということでしょう。

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