【源頼朝と義経】

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、どうもありがとうございました。 大変参考になりました。 >頼朝以前は、武士が主人の推挙を得ずに任官されるのは普通のことでした。 ここの部分も参考になったので、1150270650さんの回答をBAとしました。

お礼日時:2021/11/28 19:29

その他の回答(3件)

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はっきりと明文化された史料があるのかは、おそらく不明です(あったらすみません)。 この部分は、義経一党が平家を滅ぼした後の無断任官として頼朝から糾弾されたという内容で理解されていることが多いのですが、吾妻鏡に記述されているのは、頼朝が「任官というのは長く国に尽くしたりすることなどでたまわるものだ。相応の働きをしていないなら、しっかり仕事するまで関東に帰ってくるんじゃない」という内容です。 このように言及されていることから、ここで「無断任官がはっきりと禁止された」と考えることもできます。 が、この少し前に義経が検非違使になったとき、「すこぶる気色にたがう(少し、あるいは大きく機嫌を損ねた?)」という記述もありますので、はっきり明文化されていなくてもこういうもの(無断任官はいけない)だとして関東では認知されていたのかもしれません。

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一般常識です。朝廷から直接官位を授かるということは頼朝と同列になってしまいます。あくまでも頼朝の配下でなければならなかったのです。

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はっきり、いつそのような通達を出したかは分かっていません。 ただ、吾妻鏡にそう書いてある、というだけです。 吾妻鏡は鎌倉幕府の正史なので、一応それを信用している、 という事です。

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