ヴァレンヌ逃亡事件はなぜ起こったのですか。

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革命当初、議会と国王ルイ16世の関係は一般に想像されるほど悪いものではありませんでした。王は議会と国民の守護者として振る舞っていましたし、議会もそうした存在としての王を必要としていました。あくまで叩くべきは国民の自由と団結を損なう封建貴族であり、王は国民と議会の側に立っていると考えられていたのです。 ルイ16世自身はそうしたある意味融和的な路線を支持していましたが、王妃マリー・アントワネットはそれを危ない綱渡りと認識していたらしく、かなり早いうちから実家であるオーストリアと連携して革命と議会に対抗することを主張していました。結果としては、この王妃の主張の方が正しかったことになります。 議会の中には更に過激な思想、即ち王の存在自体を敵視する勢力もあり、次第にその影響力を強めていました。アメリカ帰りの英雄として有名だったラ・ファイエットはそれを抑えようとしましたがうまくいかず、議会にあって隠然たる影響力を行使し王の立場を守っていたミラボーも急死すると、王と議会の連携関係は完全に崩れてしまいます。 ことここに至ってルイ16世も融和路線を諦め、オーストリアへの脱出を図ります。これがヴァレンヌ事件です。 結果は失敗でしたが、この失敗はあまりにも致命的でした。「議会と国民の守護者としての王」というイメージを自ら否定し、「王が国民を見捨てて外国に逃げようとした」事実は自らの死刑執行令状に署名するも同然だったのです。