誰にでも理解できる大衆迎合で写真論を語った雄は、土門拳だったのは歴史上明らかではないでしょうか。確かに彼の思考の方向性だったら、写真論語るより写真を撮れがが正しいのかもしれません。下層ですからね。

補足

精々、ドーデもいいマウント口径や撮像素子の話だけしていれば良かったのにと思ったりします。 それに比べ、レベル低下が著しいと気付いてないのが悲しい部分。 アダムスの良さが解らないのではなく、せめてアダムスの内包したレベルがウエストンより劣るとかの話が出来るようになるまで、時間かけてください。 出てくる名前は、雑誌に出て来た表面的な人の名前ばかり・・・ 噴飯物の内容と気付かないのが悲しいですね。

ベストアンサー

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私、思うのですが土門さんなどは、ストイックだったんだろうなと思う訳なんです。現代アートを理解する手段の一つとして自己内部に構築されたストイックな部分の切り崩しではないのだろうかと考えるのが手っ取り早い方法なんだなと・・・ これ、アザラシさんが書いている事ととても似ている部分が有るのだと思います。私はとても同意いたします。

その他の回答(1件)

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昔の写真は理論があったというか必要でした。 しかしデジタル化によってその理論が超えられてしまった。 例えば、ブレッソンの真似するにしても決定的瞬間って何だったんだろう?とか考えて撮影しなければならなかった。 けど、今じゃ4K動画撮ってあとから何も考えずに一枚抜き出せば決定的瞬間になっちゃうんですよね。 機械(AI)と人間の違いは知恵と工夫とか思想や思考があるかないかの違いだと思うですよね。 何も考えならなら、そのうち機械の方が(見た目的に)良い写真が撮れるようになるじゃないでしょうかね笑

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其の引き合いに出す写真がブレッソンですか?それを4K動画で切り出すのでは良いのですが。それで何でも写真になっちゃいます。 技術的は似はですよね。 貴方の言っているのは、技術的進化だけで思考の進化は無視なのですか?そこが一番大切な所なんじゃないのかなあ。少し考えて書いたらいかがです。