江戸時代には、えた身分やひにん身分の人がいることがわかりました。 ひにん身分の人は、今でいう罪人となり、身分が落とされた人だと調べたら書いてありました。これは、理解ができました。

補足

回答してくださった皆さん、ありがとうございました。 どの回答もわかりやすくて助かりました。 こんなにも回答を頂けると思ってなかったので、嬉しいです。 ベストアンサーは一番最初に回答してくださった方にします。 同じ疑問を持っている方がいましたら、是非ベストアンサー以外もご覧になってください。

日本史 | 歴史200閲覧

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回答ありがとうございます。 えた身分の人たちは生まれた時からえた身分で、そういった仕事をしてきたということであっていますか? もし、そうなら、両親がえた身分でそのまま引き継がれたということでしょうか?

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主に皮革産業従事者です。 武具に皮革製品は不可欠なので、領主が厳しく統制したのです。 牛や馬が死ぬと、所有権は飼い主から彼らに移り、彼らに引き渡されて解体処理されたのです。

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ボ、ボクは小学生でしゅが・・・ どうもカテゴリーとして同一の要素を使用して身分秩序を構成させたようではなく、江戸時代に以前から存在していた仏教観念の穢れ意識に該当する集団または仏教思想に反逆する宗教的不良民集団に、えたの称号を添付したようで江戸時代の奉行所は今の戸籍の区分では外国人のように取り扱っていたようだ。弾ざえもんが著名なのは浅草を根拠として頼朝由緒書を伝承していたからだ。しかし弾ざえもん以前には抗争相手の小田原太郎ざえもんが存在してえた身分同士でも同種の集団とは相互に認知していなかった。ゆえにえたの根拠は不明であり仏教観念によって排除された集団が戸籍を監督する仏僧から、世俗的な制約と現世利益を保証する特権を掌握することを許可されていたのが差別身分の源泉だ。えたの登場と固定化と武士階級の登場には同一性があるようで武士が殺生を生業とする集団であると同時に軍事警察権を掌握し、破壊対象が政治権力に所属する人間であるのと比較してえたが文化権力に属さない動物の殺生にたずさわることに、殺生の仏教としてのサンクションの分化が発生しカリスマとスティグマの対比によって新仏教運動が持続された時代背景に注意されたい。ちなみに武士は源平藤橘にていちおう全部天皇家の末裔ということになっているがこれも系譜を研究すると相当あやしいのだった。

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江戸時代の士農工商の下に置かれた被差別階層です。刑場の雑役や牛などの皮を剥いだりしていたともあります。必ずしも悪いことをした人ばかりではないと思います。白戸三平のカムイ伝という漫画を読むと少しわかるかもしれません。ちょっと難しいですが。今でも差別はあります。悲しいことです。

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確かに穢多は職業人でもあり、世襲と言ってもいいでしょう。その職種は多岐にわたり、皮革製造業者だけではありません。遊芸人や下級の遊行僧、土器や鋳物や石材の職人、渡し守や森の番人まで色々あったのです。いずれもマイナーな職業で、米作りを基本とする日本の社会からは往々にしてつまはじきにされ、流浪したり貧困にあえいだ。その彼らを取りまとめ、生活の面倒もみていたのが比較的裕福だった皮革製造業者であり、穢多の代表のように見られ「長吏」ともいわれた。この頭が江戸では弾左衛と呼ばれる者で、陰の老中とも言われるほどの権勢と財力を誇ったようです。 要するに広い意味での貧民対策を、幕府や藩は弾左衛門に委ね、その代わり一定の居住地と、皮革の他にも便所用の草履とか、行燈の灯芯とか、安価だが大量に需要のあるような商品製造の独占権を与えて経済的な下支えもした。 つまり賤民の認定は一義的には町奉行所でしょうが、その先は全部弾左衛門を頂点とする賤民の自治組織が行なったのです。

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