日本軍機について

補足

皆様返信ありがとうございます。自分の中で大分答え?(一部の方に返信しました)が固まってきましたが、せっかくなので解答終了まで泳がせてみたいと思います。 因みになんですが日本軍機の質問はかなり閲覧数が多いなと、私大分びっくりしてます^^

ベストアンサー

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戦況に影響を与えるというのは、キルレシオで一貫して差をつける必要があるので、基本的には敵と同数前後か、またはそれ以上の機体数が必要があるわけですね(稼働率も考慮したうえで)、単純な話。 頭の中で整理できた気がします。 そして、返信ありがとうございます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様回答ありがとうございました。

お礼日時:1/18 12:54

その他の回答(9件)

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フツーにカタログスペックで負けてるし、実際には不良だらけでそのスペックも発揮できないんで、どれだけあっても無意味です 日本の兵器は量だけでなく質においても米国に圧倒されていました それでも「生産数が〜」と慰める言説が多いのは、まだ上述のスペックが情報としてまとまっておらず、口伝によって戦中の話が伝えられていた時代に、元搭乗員のホラ話をみんなが真に受けていたからです

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良いご指摘だと思います。 結論は、たとえ疾風や紫電改が9万機あろうが戦局を変える事など不可能です。 「生産数が…」云々は、日本軍機を虚飾に満ちた過大評価を続け、ミリタリーファンに誤った情報を植え付けた、故秋本実氏など日本軍郷愁一派の屁理屈、妄想でしかありません。 戦争末期の日本は、資材、ガソリン、オイル全てが不足し、9万機の機体が完成していても、飛ばす事も整備する事も出来なかったでしょう。 それ以上に、ベテランパイロットは払底し、高度な操縦技術が必要な新鋭機を乗りこなせるパイロットは数えるほどしかいませんでしたから、たとえ当時のパイロット全員に疾風、紫電改を配備したところで、連合軍と互角に戦うなどは夢物語でしかありません。 陸軍が旧式の98式直協を特攻機に仕立てたのは、同機がベースの99式練習機での訓練を終えたばかりの半人前のパイロットでも乗りこなせられるからで、必ずしも機体が不足していただけではありません。

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戦争の流れに影響を与える(国力差から負けるのには変わらないが、負けまでの戦局の推移に多少の変化を与えるレベル)なら数千〜一万機程度は必要でしょう。 その程度あればかなりのパイロットに新型機が行き渡ることになるので、パイロットの消耗率や連合国の戦闘機とのキルレシオに零戦と比べて有意な差が生じるでしょうから。

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紫電改の生産計画は、11,800機。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E9%9B%BB%E6%94%B9 海軍は紫電改の生産を指示し20年1月11日には11,800機という生産計画を立てた。しかし空襲の影響で計画は破綻し、川西で406機、昭和飛行機2機、愛知2機、第21航空廠で1機、三菱で9機が生産されたに留まる。 烈風は、地震とB-29の空襲で生産計画自体が破綻。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%88%E9%A2%A8 三菱での飛行試験が終了した直後の昭和19年12月から翌昭和20年1月にかけて頻発した東南海地震や三河地震と、B-29による度重なる空襲のため、三菱の工場は壊滅してハ四三の大量生産は絶望的となり、生産計画も年産120機ほどに留まった。この後も繰り返される空襲とそれに伴う地方への疎開による混乱のため、未だ発動機と機体共々未完成な部分を残すA7M2の改修と量産準備は遅々として進まず、終戦までにA7M1、A7M2合わせて7機の試作機が完成し、量産機は1機が完成したのみで終戦と成った。

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「数が少なく…」は、その手の本を書かれる方の常套句です。 戦後、最初の戦記物ブームの時、日本機を紹介する文章の最後は、「もし、○○が、半年早く登場していたら、戦局は変わったものになっていたであろうと言われている」と、締め括られるのが普通でした。 読書は、娯楽の一つですから、そのような締め括り方のほうが、読者が、気持ち良くなれるだろうとの、著者や出版社の判断でしょう(その方が本も売れる)。 「数が少なく…」と書かれると、「数さえ揃えば、何とかなったかも!」と、思わされます。 数が少なかったのは事実ですが、他の回答者さんの言われる通り、数以外の様々な要素が絡みます。 日本の単発戦闘機の生産数 【海軍】 零戦:10.430機 紫電(紫電改含む):1.422機 雷電:621機 計:12.473機 【陸軍】 隼:5.751機 鍾馗:1.225機 飛燕:1.919機 疾風:3.500機 五式戦:393機 計:12.788機 ほぼ同数なのは、陸海軍で資材のぶん取り合いをした結果、均衡したということでしょうね。 陸海合計:25.261機です。 因みに、ドイツ空軍 Bf109:33.984機 Fw190:20.000機 計:53.984機 私見ですが、ご質問にある疾風は、独空軍のFw190Aシリーズ、紫電改、烈風は米海軍のF6F-3か5に相当する程度の機体だと思っています。 Fw190は1941年、F6Fは1943年に配備されており、日本の「新戦闘機」は、数以前の問題だと考えます。 既に、ドイツ、イギリスには、ジェット機も配備されており、アメリカもP-80を投入寸前という時期でしたので。

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極端な意見も見受けられますので、補足。 英・独・米が、航空機本体、艤装品、装備品を含め、日本を上回っていたのは事実です(日本の先生達ですから)。 しかし、それに準ずる水準にあったのも、また事実。 世界中に、ましてや有色人種の国々の中で、こんな国は無かった。 日本も橘花の試飛行に漕ぎ着けましたが、ドイツからの潜水艦輸送の失敗もあり、肝心のエンジンの資料は、断面の写真一枚のみ。それでも、飛ばすことが出来たのは、それ以前の研究の蓄積があったから(ネ20は、日本の独自開発)。 戦後、僅か5年で朝鮮戦争勃発。その際、日本が米軍のバックアップ基地として有効に機能したのは、技術があったからです。