ID非公開さん
2022/1/15 16:25
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尾車部屋は、どうして弟子が継承しなかったのでしょうか?
尾車部屋は、どうして弟子が継承しなかったのでしょうか? 嘉風は家庭内がゴタゴタしていて無理ですが、豪風では無理だったのでしょいか?
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押尾川親方と中村親方はどちらも部屋を持ちたい意向を持っていて、どちらかを指名してしまうと後継争いに勝者と敗者が出てしまうので、それを避ける意味があったのではないかと思います。尾車部屋は今の親方が創設した部屋なので、創業者自身が畳む分には歴史が途絶えるとかそういう問題を考える必要もありませんでした。 あとは、中村親方の内弟子が押尾川部屋ではなく二所ノ関部屋へ移籍するのも関係しているように思います。力士が移籍するのは、部屋付きの親方が独立するのに同行する場合と、所属している部屋が閉鎖になった場合以外には原則としてできないことになっています。もしも押尾川親方が尾車部屋を継承する扱いを取ってしまうと、中村親方の内弟子は移籍できなくなってしまうので、尾車部屋閉鎖に伴う移籍という手続きを取る必要があるのではないかと思います。閉鎖になった部屋の力士が複数の部屋に分散して移籍した事例は過去にあります(2012年の田子ノ浦部屋、2020年の中川部屋)。あるいは尾車部屋の書類上の閉鎖日より押尾川部屋の書類上の創設日を早く設定しておき、中村親方の内弟子以外は「押尾川親方の独立に同行」という扱いを取る可能性もあるかもしれません。 これ以外の理由があるとすれば、「尾車」は元々琴ヶ濵という佐渡ヶ嶽部屋出身の元大関の名跡だったので、自身も佐渡ヶ嶽部屋出身の尾車親方は退職後に名跡を佐渡ヶ嶽部屋に返そうとしている可能性も考えられます。
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ID非公開さん
質問者2022/1/15 21:46