大谷吉継と立花宗茂比較してみましょう(大谷吉継については詳しくないので誤りがあったらすいません)
年齢 大谷(永禄8年生)>立花(永禄10年)
氏族 立花→羽柴(源頼朝流大友氏族)>>大谷氏(六角家臣か?)
官位 立花(従四位下侍従)>大谷(従五位下形部少輔)
領国 立花(筑後柳河13万2千石)>>大谷(越前敦賀5万石)
武勇 立花(剣術、弓術免許皆伝)>>大谷(ハンセン病?により歩行困難)
武功 立花(個人で朝鮮で10数名の敵兵の首をとる)>大谷(紀伊征伐で敵僧を討ち取る)
軍功 立花(自ら指揮した合戦は生涯三十余戦全戦全勝)>>大谷(関ヶ原で小早川相手に奮戦するも瞬く間に壊滅)
統治 大谷(秀吉奉行として全国の行政に携わる)>>立花(戦争続きで領内政治に携わる時間少なく、江戸時代も多くが江戸に在京)
他にも見るべき所があるかもしれませんが思いついただけで所だけでも名"将"としてなら立花宗茂に軍配が上がると思います。(そもそも比較する対象が間違ってる気もしますが…)