以下、修道院の建物(教会)の話ですが、ご参考に。
クリュニー修道院は910年にアキテーヌ公によって創建されました。聖ペトロと聖パウロに土地を寄進したんです。だから領主や司教の支配を受けないよう、使徒たちの精神を受け継ぐ法王の権限直下におかれ、修道院はベネティクト会の規律に従って運営されました。
クリュニーは修道院改革のモデルになり、すぐにヨーロッパ全域の多くの修道院が系列に入りました。
11世紀末までにクリュニーはヨーロッパのキリスト教社会にとっての中心地になり、クリュニー系修道院は約1400、修道士は1万人にのぼりました。
1088年、大修道院長の Hugues de Semur は神とクリュニー修道院の力を示すために修道院教会を建設することを決めます。
それは高さ30メートルに達するヴォールトを持つ過去最大のロマネスク教会で、クリュニーIIIと呼ばれ、その後400年にわたって世界最大のキリスト教寺院であり続けました。
とは言え、凋落の道をたどるのです。偉大な大修道院長が代わる代わる現れたり、18世紀に新しい建物が建てられたりしましたが、フランス革命が決定的な打撃になりました。激しく破壊され、売却されて、偉大なロマネスク芸術は無残なことに。
クリュニーIIIで現存しているのは、わずかな部分だけ。大交差部、南翼廊とその上の二つの鐘楼、そしてその辺りの壁のみです。