桶狭間のことを聞かれた織田信長が、あれはまぐれだと答えたという話をたまに聞くのですが、出典はどこでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

長年の謎が解けました、ありがとうございます お礼に私をあげる!!

お礼日時:1/29 20:04

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小説家・司馬遼太郎さんの小説に「あれはたまたま窮鼠、猫を噛んだに過ぎない」というセリフがありますが、あえて言えば出典はそれかな(笑 ただ、史実として言えば、信長は桶狭間の合戦をどうも「反面教師」にしたように、その後の戦略は「勝てない戦はしない。勝てるだけの準備をしてから戦を始める」というパターンが多いです。 敵が1万ならこちらは3万をそろえる、とか武田の騎馬に対抗するため大量の鉄砲をそろえるなどなど。 どこかの国のように「死中に活を求める」などという一か八かの戦略は真反対です。 その点を踏まえて司馬さんはそのようなせりふを小説の中で信長に語らせたのでしょう。 信長のすごいところはまたここにあると思います。 凡人は大成功するとそれを「成功体験」として繰り返し、やがて失敗するものです。 戦前の日本海軍は大型軍艦同士の戦いで日露戦争・日本海海戦に大勝利した「成功体験」を引きずり、太平洋戦争でも軍艦大和などの大型戦艦を作って戦闘機に集中砲火を食らって沈没したように。 その代表例が日本海海戦で「神様」となった東郷平八郎で、彼は昭和では「神様」として日本海軍に絶大な発言権を持っていたのですが、戦闘機の時代になりつつあるにもかかわらず大型軍艦にこだわりました。 日露戦争のときの英雄も晩年の昭和時代は「老害」になってしまいました。 最期の海軍大将として知られる井上成美は「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね」「東郷さんが口を出すとろくなことがなかった」と戦後述べています

あなたは司馬遼太郎がお好きなのですね 信長の成功体験云々は坂の上の雲で見たことのある文面だ爆笑 司馬遼太郎は小説家なので信用してないんですよね、坂の上の雲は擦り切れるくらい読みましたけど! やっぱ一次資料では無いんですかね〜(T . T) 回答ありがとうございます♪

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そんな出典はありません。 信長公記には、攻撃寸前に信長が 「あの疲れた攻撃部隊を攻撃せよ」との内容で命令しています。この発言から、信長は義元の位置を把握はしておらず、攻撃開始後に義元本陣が見つかった事が類推できるわけです。把握していたら、「そこに義元がいる!」と叫びますからね。その方が士気が上がりますから。

上記の通り、義元の本陣に至ったのはマグレである。が、これを書いてある信長公記は一級史料と評されるが二次史料である。 なお、1576年の天王寺の戦いなど、「少数で突撃」は桶狭間で最後では無い。本当の専門家なら知らないはずがない。