平安時代の源氏物語で、紫式部は主人公を「光源氏」という青年に設定しましたが、当時としてはとてもキャッチィな名称だと思うのですが、紫式部はとてもセンスの良い人だったのでしょうか?

補足

赤毛のアンのような人だったのですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

宮廷では御付きの人々には高い教養が求められたのですね。それが個人の知的な空想力に結びついて、女流文学が花開いた時代だったのでしょう。生活感の少ない、いわば一種の理想の恋愛物語が、一気に開花したのでしょう。平和を謳歌した時代だったのでしょう。他の方々も有難うございました。

お礼日時:5/18 0:23

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アンとは、正反対の雰囲気の人だと思います。 本人曰く、人前では学才を隠していたそうです。地味で、内省的な性格だったようです。目立つことや、出過ぎた言動、知ったかぶりやでしゃばりをとても嫌っていたようです。仕えていた彰子も同様で、常識がある控えめで奥ゆかしい人柄だったようです。清少納言が仕えていた定子と、そのサロンの雰囲気とよく比較されます。こちらは自由闊達、打てば響くようなやりとりと華やかな雰囲気でした。 光源氏はキラキラした呼び名ですね。紫式部は彼に美貌、地位、才能など全てをあたえました。そして、さまざまな悲しみも与えました。これはとても暗い話しでもあります。質問主さまは読まれましたか。 何故この時代か、端的に回答します。 財力があり豊かな環境と、自由な表現が許される環境が長く続いた時代からです。 この時代、宮廷と貴族に権力と財力があり、有力貴族の娘が実家や後宮で生活するために、大勢のお付きの女房を雇いました。その女房たちは、容貌・家柄・才能・人柄などの見どころがある者が集められました。このようなサロンが,上級貴族の女性の数だけありました。彼女達は自由に才能を伸ばしました。 テーマにタブーはありませんでした。皇室での不義密通が書かれている源氏物語ですら、問題になりませんでした。帝であっても憐れを知る登場人物になりました。帝は読み手でもあります。更級日記の作者は出仕していない家庭にいる中流貴族の娘で源氏物語に憧れている文学少女です。このような女性は大勢いて、女性文学の裾野は広かったと思います。 室町時代からは、朝廷と貴族の財力は衰えていきます。サロンはしぼみます。 明治時代、王政復古で宮廷は金持ちになりました。平安時代のように、明治天皇は何人もの側室を持ちました。全国から優秀な女性が選ばれて、大勢の女官も雇いました。皇后は和歌に力を入れて女性歌人を出仕させました。しかし、富国強兵、天皇や皇后の神格化というガチガチの国是の中で作られる和歌はつまらんものです。尊王思想では、源氏物語はけしからんということになっています。

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この時代中国文化の影響を離れて国風文化の時代と言われていますが、それでも建前の世界に生きる男たちは完全には中国文化から自由ではありませんでした。 そして、中国文化では小説を書くのも読むのも不良のすることです。 そものも「小」説という言葉が中国文化における小説の評価をよく表しています。 男が小説を読むのは恥ずべきこととされました。芸大の学生なのにぴんからトリオのファンなのか、みたいに白い目で見られます。 まして小説を執筆するなんて現代で言えば俳優座出身でAVの男優になるようなものです。 その点、当時の貴族の女性はそういう建前から自由でした。表で働く男性、後宮で働く女性の違いでしょうか。 その代表が紫式部。

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男性社会のなかで才によって出世したキャリアウーマンですが、恋がでいないほどの醜女だったという伝説もあり、妄想で光源氏を描いたという。 昔過ぎてぶちゃけ解りません。

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平安時代、というのは、女性史においては、 やはり特異な時代だったと言えると思います。 日本は、中世に武士の時代となると、男系相続社会になり、 男性優位の時代が続きますが、古代社会においては、 男女の双系相続が当たり前で、言わば、男女は同権です。 平安時代は、そうした社会制度がひとつの頂点を迎え、 宮廷では、女性も女房と呼ばれる、官女として出仕し、 最高位の典侍といわれる職位は、男性の右大臣に匹敵する身分です。 だから、才能ある女性達が数多活躍をして、紫式部もその一人です。 ただ、「蟲愛でる姫君」のような、内向的なタイプではなく、 普段はバリバリのキャリアウーマンで、反面、大変なロマンチスト、 だという事でしょう。

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平安時代の中頃、藤原氏は自分の娘を天皇の妃とし、其生まれた子供を天皇にして権勢をふるうという形が有りました。天皇が幼いときは「摂政」として、成人した後は「関白」として。摂関政治ですね。 そこで、娘が天皇の妃となり、天皇の寵愛を受けるために、教養を深め、歌を詠んだり音楽を奏でたりする力を付けさせるために、多くの「家庭教師」を付けました。 高貴な貴族のお姫様の家庭教師ですから、当然教養のある女性です。 この代表が、紫式部、清少納言です。 紫式部は一条天皇の中宮彰子の家庭教師でした。 清少納言は同じく一条天皇の中宮定子の家庭教師です。 二人はライバルですね。 ともかく、二人ともこの当時のぴか一のキャリアウーマンだったのでしょう。

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