本書『最後の大君』は、女(キャスリーン)と男(スター)の<愛>の物語です。
原作者のフィッツジェラルドは、娘にあてた「書簡」に書いています。
「人生とは本質的にいかさま勝負であり、最後にはこちらが負けるに決まっている。それを償ってくれるものといえば、『幸福や愉しみ』なんかではなく、苦闘からもたらされるより深い満足感なのです」(314頁、「訳者あとがき」より)
「フィッツジェラルドの文学と、そしてその実人生のひとつの要約となっている」(314頁)
と訳者の村上春樹さん。
読者としては、「愛」の幸福や愉しみのほうに自分の人生を賭けてみたいです。
この小説の主人公の男性の名前(固有名詞)は、「スター」(Stahr)。
「『私の名前はモンロー・スター』と彼は言った」(114頁)
彼は、銀幕の上で星のように光り輝く映画スターのスター(star)ではありません。
本書『最後の大君』は、スコット・フィッツジェラルドの未完の遺作です。
後半部分が完成していない「最後の長編小説」となってしまいました。
フィッツジェラルドの原稿は、本書では246頁で終わったことになっています。
残り半分のストーリーの「梗概」(247頁)部分は、友人が書き加えたものです。
この「梗概」が興味深かったです。
腕のないミロのヴィーナスを復元して完全なイメージ像にしたようで。
「化粧直し」(308頁)をしたような物語に仕上がっています。
フィッツジェラルドは、1940年に心臓発作で急死。享年44歳。
本書『最後の大君』は、翌年1941年にほぼ完成した形で刊行されました。
スピード仕上げ。
「フィッツジェラルドの書き残したノート(覚え書き)と粗筋、そして彼が作品について語った人々からの伝聞」(246頁)をまとめたのです。
まとめたのは、
「大学時代の友人であり、高名な文芸評論家であるエドマンド・ウィルソン」(308頁)
「ばらばらの断片原稿を整理し、物語の筋道をつけ、章を組み直し、できるだけ完成された小説に近い形に再編成」(308頁、訳者あとがき)したものだそうです。
フィッツジェラルド自身が生前に「最終的なアウトライン」(270頁)を作成していました。
彼の小説プランが<一覧表>の中に整然と詳しくメモられていて、驚きました。
『最後の大君』は、綿密に計画された力作だったことが、
「アウトライン」の一覧表から分かりました。
《備考》
未完成の小説には、未完成ならではの良さもあります。
未完成の若者が書いた処女作品には、不思議な魅力と勢いを感じます。
同様に、老成した作家の晩年作品には、未完成の作品であっても、
磨き上げられた渋い輝きのような、心のこもった、深みを感じます。
編集者や他人の手の入らない、フィッツジェラルド本人の生原稿そのままを
逐語訳した『最後の大君』も読んでみたいものです。
フィッツジェラルドの全てをとことん楽しみたいです。
大変お薦めです