似非や模倣(フォロワー)なんかの意図だと思います。スーツ既出ですが、3タイプで、今回の制作サイドの企画の展示会やパンフでも確認できます。
その似非をがっつりしたい設定としてこれもネット既出ですが、宇宙人ゾーフィが元ネタでしょう。
そのゾーフィを着目し、そのゾーフィと同じ血族や同種の宇宙人としての本来の自分らの知るウルトラマンではない、あくまでも地球での呼び名のウルトラマンとして、いたかもしれない宇宙人の設定であり、いい意味でも昭和ウルトラの精神が残らず、それとして執着残さずで終わる感じも良かったですね。
こちらのウルトラマンと比較してしまうと彼ら間でも統治、平和の考えはあるが、強者の見方であり、昭和ウルトラの正義とは違った生命繁栄の許容、その認可の有無を述べる森林地帯での会話が初期マン以降のウルトラの精神で見ると逆に面白く映ってしまいます。おたくらもそういう精神があり、理解があるのかと。
そのゾーフィを基準に、勝手に命名されたウルトラマンを宇宙人ゾーフィと同基準の生命体であり、昭和ウルトラマンと違いますよという全体の設定であり、そのうえで今回のウルトラマンもあくまでなんかを模倣したものの存在やマルチバースという単語を多用していましたが、こういう世界での命名されたウルトラマンはこうです!という視聴者や制作陣の認知の集大成の存在であり、円谷へのアニバーサリーとしての貢献という意味合いが強かったのではと思います。
おまけ補足ですが、円谷でも最近のSNSでウルトラマン複眼アップと怪獣(禍威獣)は日本しか現れないという生命体アピール文面を出していたのでまさかという感じでこのマンも・・・という感じで、気づいていた人もいるかも。自分は人類というより日本人揶揄だと思っていました。
まだ、シンウルトラ、作品が若いのでもう少し、上手く見ていきたいですね。