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2022/5/18 3:07

88回答

ユダヤ人、ユダヤ教を信仰する人達は現在のイスラエルあたりにあった国を追われて世界中に散らばった人達の末裔ということは人種的にはアジア人の血が入ってるってことですか?

世界史 | 宗教257閲覧

回答(8件)

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国を追われて世界中に散らばったという証拠はどこにもありません。聖書の記述は、緻密な考古学調査から殆どが創作話であることがわかっています。ハザール王国の改宗の話も同様です。遺伝的に特徴付けられる単一集団がユダヤ教を信仰していて、世界各地に散らばっていったという話が本当であれば、移住先の国々でそれを裏付ける資料がいくつも見つかるはずです。 例えば、日本では、1400年以上前に東北や北海道に蝦夷(えみし)と呼ばれた先住民がいました。これは西方から来た大和民によって侵略され、俘囚として大宰府や摂津など、各地に連れていかれたそうです。その他、彼らは大陸の豪族と謁見し、大和民と見た目が違っていたことが記述されています。この事実は日本の考古学資料のほか、大陸の資料においても確認された事実です。これは1400年も前ですから、遺伝的な判別は不可能かもしれませんが、見た目が違っていた、という大陸の資料は大変重要な情報になり得ます。より詳しい記述は見たことはありませんが、北方のツングース系の民族の可能性を指摘する学者もいます。 話は戻りますが、ハザールに居た民が世界各地に大量に離散していったわけですから、離散先ではそういった出来事が考古学上の資料にいくらか見られるはずです。違う宗教、違う見た目の集団あるいは人物が来たわけですから、それらを示す資料が見つかってもおかしくないはずです。もし信頼できる資料があるのであれば、ぜひ、提示願いたいのです。 ただし、それが見つかったとしても、ユダヤ人の定義が宗教にある以上、その子孫か否かとユダヤ人か否かは無関係です。子孫であろうがあるまいが、現在の一般的なユダヤ人の定義に照らせば、どこからかやってきた人物がユダヤ教に改修し、イスラエルを支持して国籍が認められればユダヤ人ということになるからです。 これが、プロパガンダが引き起こした誤認識と、聖書の創作話を引用して引き継がれてきた「イメージ」であり、「民族神話」「歴史神話」の正体ではないかと思われます。 ①シュロモ・サンド『ユダヤ民族がどのように創作されたか』 https://www.youtube.com/watch?v=a3w2nHShoNk

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ユダヤ人は移住したとこの人と似てきますよ。インドユダヤ人はインドそっくり中國ユダヤ人は中国人そっくり。キルギスユダヤ人は日本人そっくり。 インドにはソロモン王時代から住んでた。 元々バーレーンあたりにエデンの園があってユダヤ人はそこから移住していった。 チグリスユーフラテス河沿いに住んで貿易や技術職してた人たちです。 治水事業、運河作り橋梁つくりしに大河流域の都市に呼ばれて行った人たちです。太古の昔から医療文學学問しに行ってた。 ユダヤ人の始祖アブラハムは大変賢い商才あふれた人で起業家の素質満点の人だった。シュメールの都ウルからハラン、カナンに移住する。 ヤコブの息子たちがエジプトに移住してパロの財産管理や技術職する。 エジプトで要職独占したために恐れられ出エジプトとなる。 カナンに戻ってダビデ王ソロモン王の頃栄える。 その後アッシリア捕囚、バビロン捕囚。バビロン捕囚後カナンに帰るが ローマに滅ぼされデイアスポラに。 ユダヤ人は紀元前からスペイン、ラインラント、ポーランド、南ロシア、ボヘミアにコロニー作って住んでた。 ギリシャにはバビロン捕囚頃からコロニー作る。コーカサスにもアッシリア捕囚頃からユダヤ人は住み着いてた。 ​ ユダヤ人のローマ定住はBC2世紀。BC1世紀にはイタリア全土に5万人のユダヤ人が住み着いてたという。ローマだけで12のシナゴーグがあった。 イベリア半島へのユダヤ人の定住はソロモン王時代にさかのぼる。 8世紀から11世紀後半までの間は西方ユダヤ人共同体は平和と繁栄の時代だった。 カール大帝以後中央ヨーロッパでは寛容の時代だった。ユダヤ人が産業交易の発展に貢献したから。ヨーロッパのユダヤ人はイスラム世界を自由に動き回ることができ近東からの毛皮綿織物貿易、中国からの香辛料貿易はユダヤ人の手に握られていた。マルセイユから北海バルト海イギリスまで大交易路を支配していた。 ルートヴィッヒ一世はユダヤ人を庇護し北フランスとラインラントのタルムード学院でユダヤ人の知的生活は開花した。 フランスのユダヤ人はイギリスにも住み着く。 ドイツにもポーランドにも紀元前頃から住み着いてたが 5世紀ころはケルン、その後モラビア、オーストリアボヘミアに住み定住地の中心はプラハ市だった。 十字軍開始によってユダヤ村の繁栄は終わりユダヤ人への敵意が始まる。 十字軍がイスラム軍の前線に突破口を開き東方交易路はジェノバとベネチアの富裕な商人に独占されユダヤ人は国際貿易から締め出された。 中央ヨーロッパではユダヤ人の活路は金貸し業だけに限定された。 君主たちにとってユダヤ人を金貸し業に従事させることは格別に利益が大きかった。 ユダヤ人は国庫に納入する普通税と特別税のほかに。金融活動に課せられる高額の税金を支払わされた。戦争や大建築物に融資する裕福なユダヤ人は君主や教会にとって不可欠な動産だった。 ​​​​ 第一次十字軍以後ピレネー山脈以北のユダヤ人の暮らしは厳しくなりラビ学院も衰退した。 ポーランドは12世紀にユダヤ人を受け入れ始めその後の数世紀移民の数は増大した。 相次いで流入する移民によってドイツ系ユダヤ人の数は元元居たユダヤ人の数を上回りイデッシュ語がポーランドすべてのユダヤ人の共通語となった バビロン捕囚はBC597~BC538ですがネブカドネザル王はユダヤ人の優れた技術者やインテリを歓迎したといいます。 流刑の後、ユダヤ人はアケメネス朝ペルシャキュロス王(紀元前538年)によって解放され、故国に戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許された。 しかしバビロンで頭角をあらわしたユダヤ人は戻らなかった。 バビロニアのユダヤ人社会はその後千年間中世中期までダビデ王の子孫によって自治を許された。捕囚の民の子孫たちはササン朝ペルシャやイスラム王朝で、ユダヤの民でありながら大臣に取り立てられ権勢をふるったという。 16世紀以後はスラブ世界がユダヤ文化のリーダーになった。 スペインからの追放以後ユダヤ人が逃げたオランダとオスマン帝国が特にユダヤ人の文学活動が活発になった。 ユダヤ人だと殺されるのでキリスト教徒のふりしてあっちに逃げこっに逃げ オスマン帝国まで来てようやくユダヤ教に戻れるんだけどあまりに長い事キリスト教徒のふりしてたんでユダヤ教って何だったかすっかり忘れた人だらけです。 スペインはレコンキスタの資金源にユダヤ人のお金を使いながらユダヤ人を追放しました。 しかし殺されたくなくてカトリックに改宗したユダヤ人が沢山いて依然として王室で力を持ってました。 レコンキスタで国庫に金銭がなくなるとルイス・サンタンヘルという金持ち元ユダヤ人にスポンサーになってもらってコロンブスの航海費用を負担させたのです。 サンタンヘルはスパインのロスチャイルドです。サンタンヘルなしにはコロンブスの西インド到達は果たせなかった。 改宗ユダヤ人の中にはキリスト教徒のポーズだけの人が多かった。彼らを追及するのが異端審問所で異端とみなされると拷問にかけられ火炙りになりました。 サンタンヘルも異端審問所の追及を受けましたが王室はスポンサーを失いたくなくて死ぬまで免罪を与えられ特別待遇でした。王室にとって利用価値があったからです。サンタンヘルはヨーロッパで逃げ場がなくなったユダヤ人のためにインドにあると信じてたユダヤ人国家を見つけてほしかったのです。 マルコ・ポーロが記していたインド南西部のユダヤ人国家です。 イベリア半島を追放されたユダヤ難民を一番受け入れたのはオスマン帝国です。帝国の軍隊や軍船にユダヤ人が作った火砲や火薬が積まれ宮廷では侍医、官僚としてエリートユダヤ人が沢山登用されました。 と言っても彼らも隠れユダヤ人ですが。 隠れユダヤ教徒ヨセフ・ナシーは欧州を転々としオスマン帝国で皇帝の側近ナンバーワンになる。 イスタンブールのユダヤ人

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いわゆる出エジプトの話ですね。 民族の結束が強いので一概には言えないと思います。

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そもそも「人種」なんてのは戦後、1950年に国連が「科学的根拠のない神話」と声明を出している。 日本でも2001年に、例の日本学術会議が「人種は非科学的」と答申を出した。 未だに人種と言ってる方がおかしい。

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生粋のイスラエル人 アジア、エジプロ(アフリカ)、ロシアなどのヨーロッパの諸国民の血が混ざった人 全くの異邦の民の改宗者 と多岐にわたった方の集合体です。