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2022/5/18 18:00

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幕末から明治への転換

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

大変勉強になりました 日本史の授業では教えてくれませんからね 疑問ばかりでした

お礼日時:5/22 19:45

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西郷が脅迫に使った御親兵は戊辰戦争の兵を転用したものでした。この中の上士も含めた薩摩兵は、戦に勝ったのだから何とかなるだろうと思っていたのですが、後に錯覚であったことを思い知らされます。地位や領地をあっさり手放したというよりも、脱水機の中の洗い物のように、きりきり舞いで巻き上げられたのです。日本のシステムが、西洋のそれに擦り合わされることの変化の大きさは、個々人の想像を絶するものでした。当の西郷すら滅ぶのですから。

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質問者2022/5/22 19:44

分かりやすく説明いただきありがとうございます

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廃藩置県に先立ち、明治維新政府は諸侯に王土王民論を容認させます。 これは理屈として「諸侯の土地は天皇の所有する土地を預かっている」だけなので、諸侯はすでに反対の論拠がなくなっていた。 一応、返還した土地は再交付されるのだろう、ということになっていて、領主たちは変換は名目上のことだと思っていたのですんなりと差し出したが再交付はされなかった。 木戸と西郷は反乱が起こるだろうと予想していたところ案の定、伊地知氏が激怒して再交付を求めてきたんです。 薩摩の伊地知氏は薩摩の名門であり維新の功労者の一人です。 納得がいかないのは当然でしょう。彼は一切何も聞かされていなかった。 しかし、木戸は頑として彼の要求を跳ね除け、西郷に至っては反対するものには軍を差し向け潰す、と宣言しました。 伊地知本人を名指したものではなかったが、同じ薩摩藩の盟友に対してすらの強烈な西郷の言葉は諸侯を震え上がらせた。 もう一つは、明治政府の立ち回りです。 まず、反対派武士団の核となる諸侯の懐柔と孤立化を図る。 元藩主を東京に強制的に移住させ華族とし、俸給を払うことにした。 多くの諸侯本人はこれをとても喜んだようです。 藩政に忙殺される日々から解放され、うっとうしい重臣達からも解放され、貴族となったからです。この当時でも武士の身分は貴族より下でしたから、身分が上がったことを諸侯は祝った。 そして家臣たちの多くは県が再雇用し、役人となった。 役人から漏れた者や地元の名士クラスは郵便局長など、国家事業へ天下りをさせた(なので、昔の郵便局は地元の名士の敷地内にあることが多かった)。 彼らも、収入の低い煩わしい土地管理から解放されて、多くは納得した。 何よりも彼らを喜ばせたのは軍備への心配がなくなったことです。 藩の兵は全て武士たちが個人的に用意したものの寄せ集めです。 費用は全て個々の武士持ちであり、明治維新以後は、兵装の近代化のためにその費用が莫大なものとなっていて、小さな藩は持ち堪えられずに廃藩置県の2年前からすでに藩の返上を申請していた。 小さな組織ほど厳しく、最小単位である武家にとって、その費用は破産の危機ですらあったわけです。 そもそも西郷と木戸が危惧していたのはまさにそこで、このまままでは日本の軍備システムは崩壊するため、兵を藩から分離し国家が管理すべきという理由で廃藩置県は断行されたという経緯がある。 この措置は多くの武士を論理的に納得させた。 また、熊本や佐賀のように、統一国家論の先進的な見地から自主的に返納を申し出ている藩もいくつかあり、時代の趨勢として、廃藩は免がれえない、という基底意識が当時あったようです。

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質問者2022/5/19 22:41

大変勉強になりました 誰かが天皇陛下より領地の再貸与があると流布したのでしょうか?

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大名は、多額の借金があったのです。 それを新政府が肩代わりしてくれると言ったのですよ。 一生かかっても返せない額です。 借金から逃れるためには、仕方ありません。 また、領地を天皇に譲った後の生活費は、新政府が出してくれるので、生活に困ることもありません。ただし、この為の金は、新政府を圧迫していました。 下っ端の分たちで、薩長などの流れをくむものでなければ、新たな士官の道もありませんが、江戸時代は、米で給与が払われていて、商人たちと比べたら、生活は楽ではありませんでした。安月給に、縛り付けられるのは誰でもまっぴらごめんです。収入が良い仕事に憧れますよ。

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質問者2022/5/19 22:37

安月給はゴメンと言うと 武士道に反するような気がしますが… 新渡戸稲造の武士道なんて本当は無かったのでしょうか?

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明治二年の版籍奉還(領地とその人民をお返しする)のことでしょうか? 版籍奉還は明治四年の廃藩置県の布石ともなり中央集権国家を形成するための大改革でした。当時新政府の中枢にいた大隈重信は多くの大名、旗本達は一旦領地を返上すれど再交付されると誤解していたと回想しています。一旦領地を返上するという事は天皇に揺るぎない忠誠を表す機会と大名達は捉えたのだと思います。そう考えると大変革であるにも関わらず何の抵抗もなくスムーズに版籍奉還が行われた事が頷けます。 版籍奉還によって藩主以下家臣一統、旧幕臣(静岡移住は静岡藩士として、その他は朝臣として認められた者)達は家禄(蔵米)を新政府から支給される事になります。 明治四年の廃藩置県はたち行かなくなった藩の莫大な借財を新政府が肩代わりすることで円滑に断行されました。一言で言ってしまえば時代の流れですね。 私の先祖も時代の変革については行けず随分世を拗ねた生き方をしたようです。 質問者の疑問は正解です。好き好んで収入地位を放棄したのではなくさぞや無念であったと思います。

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質問者2022/5/19 22:40

領地の再貸与があると信じていたのですね。 だれがが再貸与の約束をしたのでしょうか?

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大名は大抵借金だらけでその他肩代わりしてくれるから逆にあり難い事でした。華族として東京暮らしを命じられましたが、江戸時代廃藩置県で江戸産まれの多い殿様達は国元で田舎暮らしをするよりも良かったでしょう。 上級武士達も禄や所領の代わりに多額の公債を受け取りました。 不満だったのは僅かな金しか下級武士達です。

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質問者2022/5/19 22:45

家の先祖は小藩の下級武士でしたが 奇麗な文字が書けたのでそのままスライド的に県の職員又は郡の職員になったようです。下級武士こそ不満は無かった様に思いますが…