天皇の死後に与えられる名前には諡号と追号があり、諡号には漢風諡号と和風諡号がある。諡号には朝廷による評価が入り,追号には評価は入らない。諡号は平安時代光孝天皇までつけられ、以降4人の例外天皇を除いて追号が贈られ、江戸時代になり諡号が復活した。また諡号の代わりに院号(上皇,法皇に贈った諡号)を贈った時代もあるが、今は天皇号(漢風諡号)に統一した。(院号を機械的に天皇に直したために後西院の院がカットされて後西天皇になるという珍名も生まれた)
諡号の付け方
①皇居の宮名
一条天皇、二条天皇など
②院号(譲位後の在所である後院の名もしくは出家した寺の庵号)
後白河天皇、鳥羽天皇(遺諡)など
③山陵(墓)の名前
④加後号(前の天皇の追号や諡号の頭に「後」の字をつける。前の天皇の別名につけるパターンもある)
後醍醐天皇、後柏原天皇、後西天皇など
⑤在位中の元号をそのまま転用して追号とする場合
加後号の場合、遺諡といい本人の意志(大抵は遺言)で自分で決めることが多い(15人)。加後号は南北朝入れて28人。加後号は親子,孫でつける場合が多いが、血縁が遠くても治世に憧れてつけたりする(当然遺諡が多い)こともある(後醍醐天皇、後村上天皇、後柏原天皇、後水尾天皇など)。
極めて特殊
後水尾天皇(子)は後陽成天皇(父)と非常に仲が悪く、自分に水尾帝(清和天皇)(父親)の名前に後をつけさせ、父親に
清和天皇から廃帝にされた息子陽成天皇の名前に後をつけさせた(親子逆転)。つまり父親が死んでから父親を勘当したことになる。とんでもなく仲が悪い、死んでも続く親子喧嘩。