フォークナーの「八月の光」光文社古典新訳文庫で質問です。
フォークナーの「八月の光」光文社古典新訳文庫で質問です。 訳者の黒原敏行さんの最初の訳注に「地の文は三人称の叙述だが、すべてを見通す神の視点での語りではなく、何者かが観察し、時に推測などを加えながら語るような形になっている」とあります。この「何者か」とは、誰を指す意味でしょうか? 終盤で追放になったハイタワー牧師の悟りの章(20章)が難解です。ここは何を意味するのでしょうか?全体の象徴? 読んだ方のご意見を伺いたいです。 よろしくお願いします。