毛利元就の、3本の矢の教えとはなんですか?

毛利元就の、3本の矢の教えとはなんですか?

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ある時、元就が三人の兄弟を呼びつけ、一本の矢を折ってみよ!と三人の息子達に言いました。 三人の息子は、すぐに折ってみせました。 では、次に一本の矢を三本に重ねた状態で折ってみよと、いいました。息子たちは勢いよく力を入れたが、子供達ひとり、ひとりの力では折れませんでした。 つまり、一本の矢では、簡単に折れてしまう=一人の力ではとても脆い では、三本の矢なら、中々折れない=三人の力を合わせれば、どんな困難でも立ち向かえる、強固な絆が生まれる。 という、【兄弟の結束・団結力を説いた】教えです ※超簡単に回答しましたので、多少違うかもしれませんが、こんなイメージで解釈していただければ、よろしいかと。 また、この話は、作り話ですが、元ネタに、元就が記した、「十四箇条の遺訓」が後世に伝わる「三矢の訓え(三本の矢)」の逸話のもとになったといわれています。 補足・『西泰録』 〝三矢の訓〟の逸話は、中国の〝西泰録〟の中にある吐谷渾阿柴の故事になぞらえて創られた物だという。

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その他の回答(5件)

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元就には三人の息子がいました。 長男は毛利を継いだ隆元。次男元春は吉川、三男隆景は小早川とそれぞれ養子に出されました。 養子にだされた元春と隆景は何を思ったか、長男隆元に対して対抗意識を抱いていました。 それを快く思っていなかった元就は、養子に出した両息子に毛利を大事に思え、毛利がなくなればお前達もなきものと思えと諭し、三家の結束を求めました。 この事が書状にも残っており、三矢の教えになっています。

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三、根拠の資料の信憑性 最初に三矢の教えが記載された物は江戸時代に書かれた「前橋旧蔵聞書」と言う資料である。実は肯定派はこれを根拠にしている。この記載には隆元、元春の存在が無い。隆景と庶子の存在があり当時の状況は合っているが、これの記載では幼い庶子も矢を折っている。現代の矢でも昔の矢でも幼い庶子は矢を折るのが困難だと思うのは管理人だけではないだろう。しかもこの資料は中国の西泰録の故事を引用しているのが定説となっている。無論、他の資料などは創作の創作であるので当てにならない。

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「1本では簡単に折れてしまう矢でも3本まとめると簡単には折れない。」 転じて、 「人間も1人では弱いが3人で力を合わせれば強固となる。」 これを毛利家に当てはめると、 「毛利元就が三人の息子(隆元・元春・隆景)に三兄弟結束の大切さを教えた」とする故事です。 現代では家族や仲間を大切にしよう。など、人の和の大切さを訴える場合に使われる場合が多いと思います。 しかしながら、この話3本の矢の例えは後世の創作である可能性も指摘されています。 もし創作であるならば、おそらく元就が1557年に書いた【三子教訓状】が元ネタだと思われます。 三子教訓状↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AD%90%E6%95%99%E8%A8%93%E7%8A%B6

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元就は3人の息子を集めて、矢を1本づつ渡して折ってみよと命じました。 息子たちは難なく矢を折りました。 次に3本づつ渡して折るように命じました。 ばき、ばき、ばきっ 3本は折れないだろうと思っていたら、力自慢の息子たちは苦も無く折ってしまいました。 3人で力を合わせれば、、、と教えるつもりだったのに、、 機転の利く元就は、、、 「矢を折るなら、1本づつ折るより、3本いっぺんに折るほうが作業効率が良いのだ。」と教えることにしました。

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3年前、前歯の一本がぐらぐらするので歯医者さんに行きました。 先生は一本抜かなければいけないと言いましたが私は毛利元就の例を持ち出し、1本の歯はぐらぐらするかも知れないが3本の歯を繫いでしまえば充分耐えられると説得しました。 前歯なので見た目も大事ですよね、結局裏側から接着して元通りになりました。 あれから3年、何の問題も無く立派に歯の役割を果たしています。