東北は、特定の同じ名字の人が多いと思うのですが気のせいでしょうか。
東北は、特定の同じ名字の人が多いと思うのですが気のせいでしょうか。 私は高校までを仙台で過ごしましたが、小学校から高校までクラスに常に複数の「佐藤」がいました。高校ではクラス34人の中に5人の佐藤がいたことがあります。他クラスでも大概一人は佐藤がいて、佐藤・高橋・鈴木がやたら多かった記憶があります。 大学は岩手(盛岡)でしたが、盛岡の人は仙台と同じく佐藤が多かったほか、やたら佐々木という人が多くないか?という印象を持ちました。 東北にいるころは、名字とはそんなものかと思っていましたが、現在は大阪市に住んでいて、こちらに来てみると仙台に多かった佐藤も鈴木もたまにしか見かけません。 田中・山本・中村などの名字がそこそこ多いようには思いますが(仙台の学校時代は同級生に田中と中村は各1人だけ、山本は見たことがありません)東北の佐藤などとは比率が全然違います。 西日本は名字がけっこうばらけている気がします。東京は知りませんが、東北は仙台と盛岡しか知りませんが、先ほど挙げた佐藤・高橋・鈴木・佐々木が際立って多いように思います。 単なる気のせいとは思えずずっとモヤモヤしているのですが、このあたり事実であればその理由、私が接した範囲がたまたまそうであっただけで根拠が無いのであればその旨、博識の方が解説いただけると幸いです。
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「東北は、特定の同じ名字の人が多い」というのは、紛れもない統計的事実です。 このグラフは明治安田生命の統計データを基に、各都道府県の上位3位までの名字の人が各都道府県の全人口に対してどれぐらいの比率を占めているかを示したものです。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7769.html 東北各県は他地方に比べ、特定の名字への集中が著しいのが一目瞭然です。 青森県を除く5県では、上位3つの名字だけで県別全人口の12~15%を占めています。特に秋田県と山形県では第1位の佐藤が県内人口の8%弱という異常な集中ぶりで、佐藤は青森県以外の東北5県で全人口の5%以上を占めます。ですから東北各県から人口が流入した仙台市で佐藤姓の人が多いのも当然、20人に1人が佐藤姓なのですから、確率上はクラスに1~2人の佐藤さんは必ずいる計算になります。 東北では2位や3位の名字も3~4%台を占めるものが多く見られます。東北内でも2位以下は県ごとに微妙に顔ぶれが違っていて、北東北では佐々木が多く(ですから盛岡市に佐々木が多かったという記憶も事実その通りです)、福島県では渡辺が多いという特徴があるのですが、各県の「多い名字」の占有率は他地方に比べ異常なほど高いのはこのグラフから明らかです。 東北ではクラスに同じ名字の生徒がいるのはまったく当たり前のことです。 ご出身の宮城県の上位3つは「佐藤・高橋・鈴木」とお書きになられている通りの順位で、この3つの名字だけで人口比の13%弱を占めます。 北海道は、全国から入植者が集まりましたが東北地方からの移民がもっとも多かったため、東北の名字分布を色濃く反映した内容になっています。 東北の中でも最北の青森県は、工藤が最多で佐藤・佐々木も多いものの東北他県には多い高橋や鈴木は多くなく、他県とはやや異質の分布になっています。深掘りすると字数が多くなりすぎるので割愛します。 東北地方に対して、近畿以西の西日本では特定の名字への集中というのがあまり見られません。ごく狭い町村や集落単位に限れば特定の名字ばかりに集中している事例はありますが、府県単位まで範囲を広げれば名字の種類はかなりバラけています。各府県で第1位の名字でも各府県全人口比での占有率は概ね1%台で、2%を超えるケースはわずかです。 西日本は名字の種類が非常に多く、特定の名字への集中があまり見られないのが特徴です。 このグラフ、日本の東西における「よくある名字」の種類の違いもはっきり表れていて興味深いものがあります。 西日本では田中・山本・中村などの名字が多く、東日本に多い佐藤・鈴木は上位50位以内にも入っていない府県がたくさんあります。現在お住まいの大阪では「田中・山本・中村などがそこそこ多いが、東北の佐藤ほどではない」という分析は非常に正確で、素晴らしい観察力だと思います。 鈴木は東日本に集中しているという特徴がありますが静岡や愛知など東海地方に際立って多く、また小林というのもありふれた名字のようでありながら、長野県を中心とした甲信越と群馬県に偏在しているのも興味深いところです。 全国規模で名字ランキングを作ると、東日本に著しく偏在する佐藤と鈴木が1位・2位になってしまうのですが、西日本では佐藤・鈴木(特に鈴木)は一部の県を除きむしろ珍しい名字なのでこのランキングにあまり現実感を持てません。 なぜ西日本は名字の種類が多くバラけていて、東日本(特に東北)は名字の種類が少なく特定の名字に集中しているのか。 即答するのは難しい問題ですが、名字研究家の森岡浩氏は「(日本人らしい名字を名乗った)歴史の長さと人口密度」の地域差にあると述べています。 古代日本の中心は近畿地方にあり、他には北部九州や瀬戸内地方も米作の先進地帯として栄えていました。大元となる公家や武家の姓の歴史が古く、従って世代を経て分家する時間も長かった西日本の方が名字の種類も多くなった、ということです。 古代から日本には「蘇我」「藤原」「源」などの「氏」(姓)があり、中世以降(平安末期~鎌倉期以降)「北条」「足利」「織田」などの「名字」が台頭してきます。 明治以降は、「氏(姓)」と「名字(苗字)」はほぼ同じものと扱われていますが、歴史的には別のものです。 古代の「氏」は有力豪族を中心とする同族集団で、血縁を基軸にしながらも非血縁者も含み、また内部に身分差も有していました。 「氏」の代表的なものが天皇から姓を賜った「賜姓氏族」といわれるもので、「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏・平氏・藤原氏・橘氏を指しますが、これ以外にも紀氏・大伴氏・在原氏・菅原氏などの氏族がいます。 平安時代になると藤原氏(大化の改新の功労者中臣鎌足が、天智天皇から『藤原』姓を賜ったのに始まる)が朝廷の重職を独占するようになります。 平安後期以降、源氏や平氏の子孫は代が下ると嫡流から遠く離れた傍系の多くが下級役人として地方に下向し、各地で勃興した武士たちが担ぐ棟梁となります。やがて武家の「源氏」や「平氏」は各地で武士団を率い、中央での政治力も増してゆきます。 地方武士たちも臣従関係や婚姻関係を通じて源氏や平氏を名乗る者が出てきて、地方は源氏や平氏だらけになります。中央で出世の見込みのない摂関家本流からは遠く離れた傍流の藤原氏も下級役人として地方にやってきます。 こうなると、家同士の区別のため、本拠となっている領地の地名や官職名などを通称として名乗るようになります。「名字」の始まりです。同じ血筋の者であることを表すのが源平藤橘などの氏ですが、世代を重ね一族の数が増えると、それぞれの家を区別するため住まいや領地の名で互いを呼ぶようになります。親戚の多い家だとそれぞれの親戚を住んでいる地名で呼んだりしますが、これが名字の起源といえます。 鎌倉執権家となった北条氏は、本姓は平氏ですが、伊豆国田方郡北条を本拠としたことから名字として北条を名乗るようになります。室町将軍家となった足利氏も、本姓はれっきとした源氏の名門ですが、下野国足利荘(栃木県足利市)を領地としていたため足利の名字を名乗りました。 地方に下向した藤原氏の傍流は、領地・官職に由来する漢字一字と、名門藤原氏の証である藤の一字を組み合わせて名字を作りました。「藤家姓」といいます。伊勢の藤原氏で伊藤、加賀の藤原氏で加藤、近江の藤原氏で近藤、左衛門尉の藤原氏で佐藤(佐渡の藤原氏や佐野の藤原氏に由来する佐藤氏もいるとされる)、齋宮頭の藤原氏で斎藤、などです。 地方武士はもともと律令制~荘園制が緩み、各地の農民が土地を持つ自作農として自立し、自分の田畑を守るため武装したものです。名字は基本的に自作農が自分の田畑の領有を明らかにするため他家と区別するため名乗ったものなので、有力武士だけでなく、鎌倉~室町期には一般庶民の間にも爆発的に広がっていきます。 多くは集落内での位置関係によるものでした。集落の中心にあるから中村、集落の手前の位置だから前田、山の麓だから山下、等々。 このような庶民の名字は、人口密度が高くて各家が所有する土地がびっちり細分化され隣り合っている所ほどたくさんの名字が必要となり、人口密度が低くまばらな所では名字は少なくて済む、という傾向があります。ヨーロッパの場合も名字(ファミリーネーム)の種類と人口密度との間に密接な相関関係があることが知られています。 今に続く日本人の名字が最も大量に作られたのは中世前半(鎌倉~室町時代)ですが、この当時の日本の人口分布は圧倒的に西日本に偏っていました。すでに人口密度が高かった西日本では、家と家とを区別するのにたくさんの名字が必要で、そのぶん名字の種類がバラけ、特定の名字への集中があまり見られないのです。 これに対し、まだ人口密度が低く開発途上だった東日本(特に東北)では、西日本ほど多くの種類の名字が必要ではありませんでした。さらに定期的に冷害による飢饉に見舞われ、収穫物を巡っての争いが絶えなかった東北では有力な一族の配下に入って一門として他家の攻撃から田畑を守るという意識が他地方より強かったとされます。 この結果、中央から下向した名門・藤原氏の末裔たる佐藤・伊藤・工藤などの藤家姓が多くなったとされます。藤家姓は東海北陸以東の東日本に多いのですが、西日本は一部の例外の県(大分県など)を除き藤家姓は一般的ではありません。 また奥州藤原氏滅亡後、東北には鎌倉幕府の有力御家人が下向しましたが、佐々木・千葉・葛西ら有力御家人の一門に入り、同じ名字を名乗るケースが多かったとされます。 東北は、西日本に比べ今に続く名字があらかた出揃った中世は人口密度がずっと低く、名字で家同士を細かく識別する必要性が西日本より低かったことと、寄らば大樹の影で有力者の一門となって同じ名字を名乗るケースが多かったことから、特定の名字への集中が顕著になっているといえます。
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質問者からのお礼コメント
なるほど。東北に佐藤がやたら多かったのも、佐藤はじめ特定の名字に集中していたのも、偶然や気のせいではなく、こうしてグラフで示されると一目瞭然ですね。 西日本の名字の種類がばらけていて、東北のようには特定の名字への集中がないことも分かりました。 長いことモヤモヤしていたことが氷解しました。どうもありがとうございました。
お礼日時:5/22 8:46